石の嫁ぎ先

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イサムノグチ庭園美術館

 20世紀を代表する世界的な石の彫刻家イサムノグチの庭園美術館を、ぜひ訪れてみたいという思いが募ってきました。宇野港からフェリーで高松港へ渡り、車で屋島の方へ30分ほど行くと、庵冶石で有名な香川県牟礼町に入りました。イサムノグチが1988年84歳で亡くなるまで晩年を過ごした地です。
 彼は1907年、父は詩人の野口米次郎、母はアメリカ人で作家のレオニーギルモアの間にロサンゼルスで生まれました。イサムが2歳の時、母は日本に住み、深い愛情を込めて育てますが、父は別の女性と結婚します。母レオニーは偉大な人で、彼が国際人として芸術家として一人立ち出来るよう考え、14歳の時単身渡米させます。彼は彫刻家を志し、世界中を旅していろいろな事を学び、ニューヨークに居を構え、モニュメント、庭や公園などの環境設計、家具照明、舞台美術、彫刻等あらゆる事を手がけます。
 あこがれの庭園美術館に入りました。受付の側に一目見て犬島の石と分かる、さび石でベンチのような形の物が無造作に置いてあり、なんだかどきどきしました。この美術館は予約が必要で、30人程度の人が一組で学芸員の説明を聞きながら、拝観するようになっています。約1550坪はあるという広い園内は、1日では鑑賞しきれません。多少予備知識のあった私も、よくぞ世界中の石を用い、このような大胆な精細な物が想像できるのかと圧倒され、素晴らしさに言葉をのみました。特に強烈な印象は「エナジーボイド」と呼ばれる、平和を願った黒い大きな輪です。これはニューヨークにもあるそうで、側にたたずんでおりますと俗世界の事は忘れてしまい、穏やかな気分になるから不思議です。
 ノグチ邸やアトリエは明治の酒造、米蔵を移築改造したもので、まわりは閑谷学校の石塀によく似た形の石塀で囲まれています。すべて彼の手によって造られたもので、日本文化を愛した事が分かります。
 裏山のてっぺんは瀬戸内海を一望できる景観の良い所で、イサムノグチは静かに眠っています。
 彼の亡き後も創造活動は引き継がれており、彼の一番弟子であり協力者の和泉正敏氏が、現在もイサムノグチの設計による北海道の札幌市モエレ沼公園へ、犬島の自然石を多量に運び創作が進行中です。完成は平成16年と聞いています。
 普段から犬島の石ばかり目につく私の慣習が、今回は「世界は広いなあ、恥ずかしいな、こんな狭い心では」と思わせてくれた世界でした。今も生き生きと彼の輝いた目が、じっと見つめているような牟礼町に後ろ髪引かれる思いでおいとましました。

イサムノグチ庭園美術館「ベンチ風さび石」

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