石の嫁ぎ先

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観音寺横河次太夫重陳の碑「大阪城へ巨石を運ぶ」

 犬島から大阪城へ運んだという碑文があるというので訪ねてみました。
 姫路から山陽電鉄に乗り換え東二見駅で下車しました。行き先は明石市二見町東二見1643の観音寺です。
 駅に降り立ちこじんまりとした商店街を南に7、8分歩いて行くと右手にお寺が見えてきました。補陀山(ふださん)観音寺と彫られた真新しい石柱を通り境内に入ると、南庭に横河次太夫重陳(よこかわじだゆうしげのぶ)公と一族の墓碑がありました。
 2メートルほどの四角い墓碑に近づきました。碑文は長い年月を経て風化しているので、判読が難しくなっています。指でやさしくなぞっていますと、住職さんが出てこられ、拓本のコピーを下さいました。それは四面からなっており漢文の長い文章でした。
 その一面に、横川重陳公は、姫路城主池田輝政公に仕え船大将となり、大阪夏の陣に手柄をたてました。元和6年(1620)大阪城修理の時、石材の切り出し奉行を勤め、備前犬島から横8間(16メートル)縦四間(8メートル)の巨石を切り出し、苦心の末無事に大阪城へ運びました。
 また、江戸城の修理奉行になったり、高砂城築城といった特殊な技能を発揮し、多くの功績を残しましたが、慶安2年(1649)おしくも67歳でなくなりました。観音寺の開基として当山にまつられていますと刻まれていました。

横河次太夫重陳の碑

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