土木巧者津田永忠と犬島
江戸時代の国教「儒学」
    関ヶ原の戦いが慶長5年(1600)におこりましたが、日本国内は、それから明治維新(1868)まで300年近く一度も戦争がありませんでした。これは世界中どこの国にもなかったことです。多くの歴史家を初め、私たち一般人も、その理由にあまり注目していませんけれども、これは非常に重要なことです。特に、世界平和が問題になっている現在、とくと考えてみる必要のあることだと思います。
 ところで、その理由というのは実に簡単です。江戸幕府が、江戸以前諸宗派に分裂していた仏教を、そのまま認めながらも、諸宗派すべてに共通する普遍的規範思想を、力をバックに、新たに導入したためです。それが儒教思想すなわち儒学の採用でした。
 儒学は江戸時代以前にもありました。しかし寺僧の教養の範囲を出ませんでした。江戸幕府は、それを天下統治の普遍原理にして全国にくまなく徹底したのです。このため、儒学は江戸時代"国教"であったと言ってよいでしょう。
 江戸時代には、キリスト教がきびしく弾圧されたり、日蓮宗不受不施派がたびたび法難にあったりしました。これらは江戸幕府の統治の普遍原理に違反すると見なされて、弾圧の対象にされたのでした。
 江戸時代は封建制度、しかも幕府権力が非常に強く、差別のきびしい近世封建制度でした。そのため良い時代だったとは仮りそめにも申せません。しかし戦争がなく平和がつづいた時代でした。統治の普遍的原理としての儒学が、強権と癒着しながらも生きて働いていたからだと思います。
 たとえ封建制度だったにしても、儒学は仁の思想を中核にもっており、それなりに人間を大事に思い、非情な政治に歯止めをかける働きをしたと思います。
 当時、この点での全国最高の優等生が、実は、池田光政の治めていた岡山藩でした。

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