京橋(きょうばし)

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宇喜多秀家は文禄年間(1592〜96)岡山の城下町建設の一環として山陽道を付け替え、旭川に京橋を架け、城下への入り口とした。架橋とともに山陽道は橋を渡って北上するようになり、城下町繁栄の基となった。かつては水陸交通の要衝だった。橋の西のたもとに御門を設け、夜間は扉を閉じ門番が警備したという。