二の荒手(にのあらて)

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一の荒手築堤後の貞享(1686)、荒手を大改造して三段方式に築き直し、これが現在にいたっている。旭川の流入口に一の荒手、百間川の分流口にあたる中島と竹田の間に二の荒手、さらにその奥に三の荒手(現在はない)が設けられた。これにより旭川の水量が増すと、旭川から一の荒手を百間川へ洪水が乗り越えて、一の荒手と二の荒手の間に一時貯蔵され、土砂を沈殿させ、さらに増水すると二の荒手、三の荒手が土砂の流出を抑制しながら百間川に流入する方式になっている。