岡山市民の文芸
随筆 -第52回(令和2年度)-


傘寿讃 金光 章


 つい先日僕は八十歳の誕生日を迎えた。いつも誕生日にさほどの感慨を持つことなどないのだが傘寿の今年ばかりはなんとなく嬉しい。大病に煩わされず、特別苦境に出くわすこともなくここまで来たことを感謝したい。
 勝手気ままに生きてきたからその分両親、家族、親族に迷惑、負担をかけたことだろう。それらを代表して母親に花束を贈り、父親とは乾杯を交わしたいなどと考えていたら、近くに住む娘が「お父さんお祝いに食事会しようよ」と誘ってくれた。
「やろう、やろうどこの店がいいかな」
僕は大乗り気だったが、家人が
「あなた本気なの、今どき年寄りが五人以上集まって飲み食いしていいと思っているの」とストップをかけた。コロナは怖い。久々に大学生の孫息子二人と一杯飲める楽しみは吹っ飛んだ。その代わりだろう。当日、孫が「おめでとう」と電話をくれた。
「僕は君らの年齢の時、自分が八十歳のお爺さんになることなんか考えもしなかった」
「あっという間に年を取るぞ」
説教になりそうで僕は慌てて口を抑えた。
僕の老人像には祖父の印象が強く残る。

 祖父は戦争中小さな村の村長だった。それが災いして敗戦と同時に公職追放を余儀なくされていた。それが主因と思うが以後、公職は無論のこと、草抜き一つ仕事に従事しなかった。典型的な隠居生活だ。終日自室に閉じこもり多分新開でも精読していたのだろう。後にテレビ放送が始まると誰より早く受像機を買い求め、終日画面にかじり付いていた。それでいて存在感は家中に充満し、祖母は息をするのさえ気遣っている様子が子供の目にも分かった。僕ら子供は隣家に住んでいたが、祖父の家へ行くと抜き足差し足、用件もそこそこに逃げ戻ったものだ。今の僕も同じ隠居の身だが人格の重みが異なる。あの威厳は僕にはとても遠い。苦笑するほかない。
 それはさておき、諸行無常。つくづく時代は変わるものと実感する。祖父のいた頃、父と暮らした頃、身の回り全てが変化した。社会環境の変化は家族のあり方にも影響を与え、生活技術は激変した。
 時折自分は社会から少し遅れていることに気づかされる。僕は携帯用電話機を持ったことがない。必要がないから欲しくもないのだが、いつの問にかこれが世間一般では生活必需品に昇格していてしかも生活を侵食していることに気が付く。
 家人がいい例だ。僕の目にはスマホに追いまくられているように映る。この人はスマホがないと生きる中心を失うのではないかさえ思ってしまう。なのに社会はスマホを持つことを前提に社会的サービスを進めている。
 人より早く情報を得て何になる。社会の便利に使われるのは遠慮したい。どうせ当方は隠居の身だ。なるベく新奇なこと引きずられず、天然自然と親しんで、素朴に生きたい。今そんなふうに開き直っている。



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