岡山市民の文芸
随筆 -第52回(令和2年度)-


そうめん 森本 恭子


 どんよりした雲が広がる、梅雨の明けきらない蒸し暑い七月のある昼下がり、食欲も気力も減退気味で脂っこいものや、ボリュームのあるものが食べきれそうもない時に重宝するのが、夏の定番、そうめんだ。
 子どもの頃、夏休み中の昼食はそうめんが群を抜いて多く、母がそうめんを茹でている後ろ姿を見るとワクワクしたものだった。家族皆でテーブルを囲み、そうめんをすする。めんつゆに大葉やネギ、ごま、ウズラ卵にきざみ海苔、大人はワサビを入れて、そうめん専用の透明ガラスの器に氷やトマトやきゅうりを盛ったそうめんは、ご馳走感あふれたものになって、子ども心にとても嬉しかった。
 このことが頭の片隅にあったのか、その日はそうめん売り場へ一直線に向かった。棚には何種類ものそうめんが並び迷っていたところ、傍に、存在感抜群の見恨れない玩具が一台置いてあった。パステルカラーの珍しいデザインで、商品名を見ると、『家庭用そうめん流し機』とある。名前のとおり、家の中でもそうめん流しの気分を味わうことができ、お独り様でも少人数でもどうぞと説明文にある。数分ためらったが、そうめん流しのフレーズに心惹かれて、買うことに決めた。
 そうめん流しと言えば、小学生の頃、旅先で昼食に食べたことを思い出す。やや古びた円卓で、スイッチを入れると人工的に水流を作り、くるくると水中でそうめんが回る仕組みだった。今思えば、玩具のような作りだが、野外の得も言われぬ開放感のなか、家族の大切なレジャーの思い出として記憶されている。その後も、色々なそうめん流しを体験したが、やはり一番思い出に残るのは、回転式のそうめん流しだ。だからだろう、その時の高揚した気分をもう一度蘇らせたかったのだと思う。
 持ち帰るとき、プラスチック製で軽いものの、箱に入ると大きさはひと抱えもあった。帰宅して、早速、試してみる。そうめんを茹でて水をきりザルに置き、山の形になったてっぺんからそうめんを少しずつ流していく。冷たい水に乘って流れてくるそうめんを、一生懸命に箸ですくい、麺つゆにつけて食べるだけの作業だが、このすくいとるまでの時間が何よりのごちそうだ。初めての試みだったが、我が家は束の間、小さな夏祭り気分で盛り上がり、それはどこか新鮮な気持ちで、心が満たされるのを感じた。
 いつか後片付けが面倒になり、倉庫に入って使わずじまいになる日が来るかもしれないが、人生楽しんだもの勝ちという、先人たちの知恵を優先したい。日常に追われるなか、巡りゆく季節に寄り添って暮らす生活を我流に楽しむことに魅力を感じるのだ。家族の心を豊かにしてくれた魔法の玩具と、素朴なそうめんの食感と風味を、大切に守り伝えていきたいと思う。生涯で食べて楽しむものに限りあるが、経験すること
で、人生が一回りも二回りも豊かに楽しくなるものだから。



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