岡山市民の文芸
随筆 -第52回(令和2年度)-


母のいた時間 平元 薫


 夫は、ずっと、自分が「母のいた時間」を知らないと思っていた。でも、夫の身体、はしっかりと「母のいた時間」を覚えていたのだ。
 梅雨時、やっと私は、昨年三十三回忌の法要をすませた実母の和箪笥の中を整理した。形見分けの後、残していた物をこのままにしていては、子供達が困るのは目に見えている。処分しようと決めた。しかし、見覚えのある水色の着物だけは捨てづらく、思い切ってリメイクすることにした。
 縫い物は、あまり得意でない。でも、時間だけはたっぷりある。図書館で、手縫いで出来るという超初心者向き着物リメイクの本を借りてきた。失敗して元々と、この本を見ながら、私のチュニックに作り替えることにした。
 勝手に、リビングの片隅を私の作業コーナーにした。まず、必要なところのみ、着物をほどいていく。和裁も得意だった母。この着物も自分で縫ったのかなぁ、知っているようで本当は何も知らなかったなぁ、と母のことを考えながら縫い目をほどく。床に着物を直置きにして、型紙がわりの新聞紙をあて、まち針をうつ。そして、思い切って裁ちばさみを入れた。ああ、もう元にはもどらない。
 その後は、チクチク手縫いをしていく。この水色の着物、私の入学式や卒業式に黒の絵羽織と一緒に着ていたなぁ、と母のいた時間をいとおしく思いながら、うつむいてただ針を動かす。
 そんな時、同じ部屋にいた夫がふっとつぶやいた。「この感覚、なんか覚えとる。ようわからんけれど、こんな感じ味わった事がある気がする」
 私は、あっと思った。それって、今まで忘れていた、夫の一番古い記憶だ。夫の母は、和裁や洋裁が得意でよく頼まれ物をしていたという。きっと、小さな息子を遊ばせながら、縫い物もしていたのだろう。針を動かす母の側で、安心して過ごしていた幼い頃のことを夫の身体は思い出したのだ。
 夫は、二歳八ヶ月の時に実母を亡くしている。顔も全く覚えていないという。実家には写真も残っていない。結婚してはじめて伯父に、赤ちゃんの夫がふっくらとした母に抱かれている写真をもらった。この写真でしか母とのつながりはないと思っていた。しかし、今彼が味わっている感覚。これは、夫の身体がしっかりと覚えていた、母のいた確かな時間の証だ。
 思いかけず、身体が覚えていた母と過ごした穏やかな時間。潜在意識の奥にそっとしまわれていた時間。きっと、その大切な時間の温もりが、夫のその後の六十年を支えてきてくれたのだろう。そして、これからもずっと支え続けてくれるに違いない。
 追記。無事、私のチュニックも完成した。



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