岡山市民の文芸
随筆 -第52回(令和2年度)-


#Me Too 佐藤 陽子


 男が苦手だ。
 子どもの頃は男だ、女だ、の好き嫌いはなかった。こうなったのは就職してからだと思う。
 最初の勤め先は出版社だった。後で知ったことだが随分な競争率だったらしい。場所も銀座だったので人気があったのだろう。なぜ私が合格したのかというと編集長の好み、だったらしい。これも後で知ったことだが。
 制作現場は過酷で深夜にまで仕事が及ぶことがある。その後は必ず慰労の飲み会になる。直属の上司である編集長は「このあと、どこかに二人で行きませんか」と私を誘う。私は酷くうろたえながら失礼がないように慎重に断りのセリフを考える。これが疲弊した心身に堪える。自分のポジションの確保とともに意思表明をさり気なくも、毅然と伝えなくてはならない。しかも自分にも相手にも不利益にならないように。若い私は苦しんだ。
 のちに移転した岡山でも同様なことが続いた。勤め先の上司と挨拶回りで一緒に車に乗っていた時「このままホテルに入っちゃったりして、そしたらどんな」とハンドルを握りながら上司が尋ねてきた。「全部失くしますよ。地位も名誉も家庭も。訴えますから私は。止めた方がいいですよ」と冷静に仕事のトーンで答えた。私はいつの間にか非礼な言動に対処する度胸を身に付けていた。それから数年後にセクハラ(セクシャルハラスメント)という言葉が社会に現れた。
 先日、女性ばかりが集まる習い事の教室で「#Me Too」が話題になった。彼女らは口々にミーツゥ、ミーツゥと勢いよく手を挙げた。いつもは無口で控えめな専業主婦が「私なんて、おっぱい触らせろって言われて触らせといた。減るもんじゃなしって」。人柄からは想像もできない発言だった。
 セクハラへの警戒心は服装にも表れる。海外の映画で大きく胸の開いたトップスで堂々としている学校の教師を見ると驚く。日本では胸の谷問はNGだ。とにかく見えてはいけない。だから見えなくするために下着じゃないみたいな下着が売れる。さらに胸を小さく見せる下着も開発され売れる。女たちは誤解されたくないのだ。勘違いされたくないのだ。女は男にスキを感じさせてはいけない。男の価値観が先行しているからだろう。
 「こんなに色気のない女性は珍しい」と年配の男性に言われる。「色気は大事」とも。私もそう思う。彼の言うそれは性欲に基づいた色気ではないことも承知している。だが悲しいかな、長年の会社勤めは男社会の中で性的嫌がらせに遭わない攻防法を私に覚えさせた。
 それは、一にも二にも喧しくすること。不本意だが、向こうっ気の強い、味もそっけもない毒気のあるバサバサした女であると思わせること。これが確実で手っ取り早い。
 本当は美麗な装いで私らしく口数少なく、おしとやかに艶のある風情でいたいのに。


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