岡山市民の文芸
随筆 -第51回(令和元年度)-


コンビニ婆さん 佐藤 幸枝


 私は八十四歳。昔タイプの人間らしく、冷蔵庫に長い期間、物を保存しておくことの嫌いな人間。新鮮な魚や野菜を買い求めに、毎日昔でいう市場、今日ではスーパーマーケットへせっせとお買い物に出かけていました。道すがら、かつての農業用水が残っていて少々の幅もあるので、昔の小川のように、水の色や流れの変化を眺めたり、並んでいる住宅の塀沿いに草花が小さく咲いているのを見つけては春がやってきたと喜んだり、まるで季節の変化と会話しているかのように通っていました。
 ところが圧迫骨折を患い、その後遺症で歩行困難になった近頃は、スーパーマーケットまで歩けないので仕方なく家から一番近い国道沿いのコンビニへ買い物に行くようになりました。車が流れるように通る国道。しかも十字交差点があるので、縦と横の二通りの信号機を渡り、わずか五分ほどの短い道のりですが、やたらと神経を使い、やっとの思いでコンビニにたどり着くのでした。
 コンビニは、これまでときどき、入り口付近に並べてある新聞を買いに行くとか、たまにコピー機を拝借するくらいの馴染みの薄い場所でした。今回必要に迫られて訪れ、初めて店内をじっくり眺めながら驚きました。誰もがおなじみのおむすびやお弁当以外に、「豆腐の白和え」、「小芋とイカの煮つけ」をはじめ「いわしの梅干し煮」「サバの塩焼き」などが、いずれもおいしそうなラベルを張り付けたおひとり様用の容器に収まって並んでいるのです。何だかとてもおいしそうです。
 「本当においしいのかしら?」と思いながら商魂の逞しさに感心するのでした。通路わきにはホウレンソウ、大根、それにナスやトマトなど生鮮野菜もわずかですが揃えてありました。不思議なことにコンビニまで歩けるようになったという達成感とここまでくれば多少の食品が手に入るという安堵感とで気分がすっかり落ち着きました。若者向きの食品が並ぶ棚を眺めながら私自身も若くなったような気分で「今晩は何を…?」と献立を考えるのも乙なものです。私のような年寄りはチンと鳴らして出来上がりのファーストフードにはさすがに手が出せません。ナスの輪切りをフライパンで焼いてカツオと刻みねぎをかけ、しょうゆを垂らすだけの「焼きナス」。ジャガイモを千切りにして、塩コショウで味付けだけでバターでいためる「ジャガイモ炒め」。大根を細く千切りにして塩もみし、酢をかけて「おなます」。と、たちまち簡単な手造り料理が浮かんできます。
 こんな風に少しずつゆっくりと頭を回転させていると、歩けなくなったという悲壮感がたちまち薄らいで、考えることの楽しさを覚えるようになりました。今では、親しみを込めて眺めているうちに棚の商品の方から何か語りかけてくるかもしれないと期待をふくらませながら、せっせとコンビニさんに通っています。


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