岡山市民の文芸
随筆 -第51回(令和元年度)-


碁打ちのひとり言 片山 皓右


 地域の囲碁好きが公民館に集まって週二回打っている。四十人を超えるから棋友会という組織を造り、それぞれが棋力に応じて手合いをし、成績がいいと昇格する決まりになっている。
 昔は囲碁も将棋も愛好家が多く、子供のころから大人に教わり、成人しても機会があれば楽しんだ。縁台将棋は夏の風物詩であった。今はどうか。テレビゲームやスマホの普及で面倒な囲碁・将棋などに手を出す者はごく少なくなった。だから我が棋友会も平均年齢七十三を超える。最高九十四歳である。
 囲碁というものは当然ながら棋力によって順列を付ける。強い奴が上である。アマチュアでは普通七段が最高位とされている。要するに対局して勝つ人が上にゆく。だから内心では此奴には絶対に勝つと決めながら、口では「宜しくお願いします」と下出にでる。弱いふりをして相手に油断させようという魂胆でもある。中には鷹揚に構えて相手を睥睨し、外見で圧倒しようとする作戦を立てる者もいる。しかし対局していて面白いのは、勝負もさることながら相手の気質までも読めることだ。碁笥の中に手を入れてジャラジャラいわせながらなかなか打たない人がいる。決心がつかなくて別の動作で誤魔化しているのだ。恐らくこの人は職場で周りに気を遣いながら仕事をしていたに違いない。優柔不断といえば失礼だが、高段者には余り見かけない。気配りが大変だっただろう。同情しきり。
 また碁石は持つのだが、盤上で手をひらひらさせて置こうとしない者もいる。もっとひどいのは石を置いてそのまま手を放そうとしない。頭で考えるのではなく、自分がそう打つと形成はどうなるか目で試している。この人は部課長クラスの経験者で職場でもかなり無理難題を通したのではあるまいか。
 一方ではじっと考えて、打つ瞬間に碁笥に手を入れぴしりと決める人もいる。血の筋の浮き出たひとさし指の爪と中指の腹でちゃんと挟んでいる。対局姿勢もいい。こういう人を見ると心が和む。
 時に堂々と打ち進め、こりゃどう見ても中押し負けだと覚悟を決めた時、急に失着を打たれ、こちらが逆転勝ちをすることがある。嬉しいには違いないが、どうしたのかと訝しむ。ひょっとして身内に不幸でもあったのではないかと、あらぬ想像をしてしまう。
 ここに集まるお年寄りたちは、恐らく囲碁が唯一の楽しみだろうと思う。対局の合間の会話には必ず笑いが入る。もちろん出席率は高い。特に月一度の月例囲碁大会には殆ど全員が出席する。そこで五勝すればワンランク上がる。今まで対等だった人にずっと黒石を持たせるのだから気分は上々だろう。遠い人は車で四十分もかけて参加する。例の九十四歳の長老がいう。
 「死ぬまで打ちたいのう」


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