岡山市民の文芸
随筆 -第51回(令和元年度)-


さよなら、たっしゃでな あまんじゃく ももこ


 昨秋、街中にある仕事場の玄関前に鉢植えのビオラを置いた。春にはこんもりと茂り、たくさんの花を咲かせたが、そうなったのも束の間、茎の辺りがすかすかと風通し良くなってきた。誰かが葉っぱを食べているのか。犯人を捜す。そこには黒い身体に赤い模様のイモ虫が二匹おり、おいしそうに葉っぱにかぶりついてきた。どおりで葉っぱが減るはずである。
 その赤黒のイモ虫はツマグロヒョウモンという蝶の幼虫である。モンシロ蝶より大きく、アゲハ蝶より小さい。翅は柿色に黒い模様が入った豹柄である。メスはその豹柄の翅の先が青っぽい黒で白い帯がかかっている。幼虫の食草はビオラである。親蝶は、こんな街中のビオラをよく見つけたものだ。このイモ虫が蝶になるのを楽しみに、ビオラを彼らの住みかとして提供してやることにした。
 幼虫はビオラの中をあちこちへ移動する。毎日その姿を探しては生存を確認した。幼虫はモリモリ大きくなった。ある日、一匹の幼虫が縮こまって動かない。腹でも痛いのか。しばらくすると、脱皮した皮が残されて幼虫は元気を取り戻していた。よかった、病気じゃなかった。それから数日後、二匹ともどうにも見つからない。とうとう鳥にやられたかと胸を痛めたが、一匹は看板の下で、もう一匹は鉢植えのバラの枝先で、蛹となってぶらさがっていた。ツマグロヒョウモンの蛹の特徴、六つの金ボタンがピカピカと光っていた。
 蛹になってから十日目、仕事の合間に外に出てみると、看板の下の蛹が成虫になって、脱いだばかりの蛹の殻につかまってじっとしていた。翅をしっかりと閉じているので鮮やかな豹柄は見ることができない。バラの枝先のほうの蛹も羽化が近いはずだ。じっと見つめる。すると蛹がピクリと動いた。蛹の背中が割れ、翅がくしゃくしゃの蝶が姿を現した。その翅も数分のうちに大きくピンと伸びたが、やはり閉じたままである。翅を開いて飛び立つのを見たい。看板の下の一匹をじっと見つめて飛び立つのを待った。ご近所さんが通りかかり、言葉を交わすために目を離した。次に見ると、その姿は消えていた。残念。でも、もう一匹がいる。次の休憩までに飛び去ってしまわぬよう、バラの枝先でじっとしている蝶に大きな袋をかけて仕事に戻った。
 次の休憩時間、そっと袋を取って中をのぞきこんだ。袋の底でツマグロヒョウモンが、真新しいくっきりとした豹柄の翅を広げて静かにとまっていた。翅先が青黒いメスだ。凛としたその姿はどこか堂々としていた。「さぁ、出ておいで」と声をかけて袋を少しゆすった。蝶はにわかに飛び立って袋から出ると、そのままぐんぐんと高く舞い上がり、青く晴れた空の彼方に消えていった。それまでの姿からは想像もできない、一瞬の迷いもない力強い旅立ちであった。
 姿が見えなくなくなった空を見上げながら「さよなら、たっしゃでな」とひとりつぶやいた。
 


現代詩短歌俳句川柳随筆目次
ザ・リット・シティミュージアム