岡山市民の文芸
随筆 -第50回(平成30年度)-


おむすび 早川 浩美


「今夜はむすびかな」
 義母がうれしそうに言った。
 卒寿の義母は体に悪いところはないが歯が悪い。ご飯はいつも特別に柔らかく炊いたものを出している。おむすびは中途半端に残ったご飯にワカメのふりかけを合わせただけのもの。義母用に作ったわけではない。固いかもしれない。飲み込みにくいかもしれない。
 私の心配をよそに義母は、「ちょっと大きいわぁ。全部食べきれるかしら」と言いながら、ペロリと食べてしまった。
 そんなに喜ぶならと、翌日も、やわらかいご飯に加えておむすびを用意した。義母は迷わずおむすびを選んだ。そうして、義母の朝食におむすびを用意するようになった。
 毎日同じではあきるかもしれない。おむすびにも変化をつけてみる。今朝は韓国風おむすび。牛そぼろときんぴらごぼうを白いご飯に埋めてにぎった。これは以前、娘が作ってくれた韓国風海苔巻きを義母の口に合うようにアレンジした。
 義母はお箸でくずしながらおむすびを食べる。中から自分の好きなものが出てきたらうれしいだろう。一日の始まりが楽しければ、その日一日が楽しく過ごせるのではないか。そんなことを思いながら作った。ふと、地区の行事の時のことを思い出した。
 その日、昼を過ぎても作業に当たる人のためにおむすびを作ってほしいと、地区役員さんから言われた。来年からはコンビニのおむすびを用意するから、と。若い人が「コンビニおむすびがいいわ。誰が作ったかわからんおむすびなんか気持ち悪いよなぁ」と言った。
 その言葉に驚いた。食の安全や衛生を学んで大きくなった世代はそうなのかと、寂しい気がした。
 おむすびは誰かの手で握る。その手はその人の体と心とにつながっている。「元気を出して」と、相手を思いやる気持ちは手からおむすびに。おむすびを食べる人はその気持ちも一緒に食べる。だから、誰かの優しい気持ちが感じられるおむすびはおいしい。では、感じられるものがない時はどうだろう。衛生面ばかりが気になって気味悪さを感じるのではないか。そうだ、だから彼女の口から「気持ち悪い」という言葉が出たのだ。
 気持ちのないおむすびを彼女は作りたくなかったのだろう。あれは、食べる側の立場に立っての言葉だったのだ。まだ小さな子のいる彼女には、きっとおむすびに特別の思いがあったのだろう。それが証拠に彼女が握ったおむすびは年上の私たちみんなが感心するほどきれいな三角の形をしていた。
 時に私もささくれた気持ちのままおむすびを作る。義母はきっと気づいている。それでも、いつと変わらずうれしそうに食べる。いつの間にか私の心は優しいもので満たされていく。食べる側の義母の優しい思いやりだ。
 明日も義母が喜んでくれるおむすびを作ろう。握る指には感謝を込めて。







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