岡山市民の文芸
随筆 -第50回(平成30年度)-


凍てつく夜に 岡 由美子


 肌を突き刺すような寒波が襲来した日の午後、実家を訪れた。父亡き後、週に一度のペースで母を訪ねるのが習慣となって、七年を迎えようとしている。岡山県の北東部に位置する実家は、私の住んでいる岡山市南部よりも、二度ぐらい気温が低い。車のドアを開けた途端、強烈な冷気が私を包んだ。
 車の音を聞きつけ、家の中から飛び出てきた母が、困りきった表情で私に告げた。
「さっきなあ、水道管が破裂したんよ。元栓を止めたから、今日は水道の水が一滴も出んのよ。あんたがせっかく来てくれたのに、悪いなあ・・・」
 修理の業者は、明日来てくれるのだという。
 早速トイレに行ったが、水が流れない。手も洗えない。水のありがたさを思い知らされた。明日の朝まで、ポット一本の湯と風呂の残り湯とだけで、急場をしのがなければならない。簡単な夕食を済ませ、一杯のお茶を一口一口大切に飲んだ。勿論お風呂も沸かせないので、私は着替えも洗顔もせず、応接間のソファーの長椅子で寝ることにした。外は深々と冷え込んでいるが、室内はエアコンと電気ストーブとで、寒さ知らずである。私は、厚手の毛布一枚を掛け、横になった。
 しばらくして、母が大布団を抱えて入ってきた。「こんな所で寝て、風を引いてはいけないからお掛けなさい」と言う。二部屋を隔てた押し入れから、九十五歳の母が大布団を持ってきたことに驚き、思わず母をたしなめた「重たい布団を運んで、転んだらどうするん。私は寒うないから、心配いらんよ」
 母は、おぼつかない足取りで退室した。
 ウトウトしていると、また母の気配がした。今度は毛布を持ってきて、私の足元に掛けて出て行った。
 明け方、トイレで目が覚めた時、さらに一枚、肌掛け布団が掛けてあるのに気づいた。いつの間に掛けてくれたのだろう・・・。
 六時過ぎには、もう母が起きてきて、開口一番に尋ねた。「寒うなかったかな。ゆうべはものすごう冷えたなあ」
 母の掛けてくれた寝具を押し入れにしまった。大布団、毛布、肌掛け布団。それらは結構重く、押し入れまでの距離も長い。ソファーで寝ている娘が、寒くはないか、風を引きはしないかと案じて眠られず、何度も寝具を運んだ母の心中を思い、胸が痛くなった。本来なら、私の方が母を気遣ってあげるべき立場なのに、まるで逆ではないか・・・。
 パンとコーヒーとで、軽い朝食をとった。母は繰り返し、水の出ないことを詫びている。内心は、母への感謝の気持ちで一杯なのに、口をついて出てきたのは裏腹な言葉だった。
「お母さん、あんな重たい布団を運ぶなんて危ないわよ。転んだら大変だわ」
 窓越しに、真っ白く霜の降りた冬景色が広がる。この時季一番の冷え込みが招いたハプニングだったが、私の胸中は温かく潤っていた。何歳になっても変わることのない親心に。






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