岡山市民の文芸
随筆 -第50回(平成30年度)-


記憶の場所 佐藤 陽子


 私の車は一体どこへ行ったのだ?
 自宅の裏門を開けた横に駐車場がある。いつも、そこにあるはずの車がない。
 盗まれた。
 すぐに警察に連絡をしなければならない。しかし私はすごく急いでいた。とにかく、すぐに出かけなくてはいけない。約束に間に合うギリギリの時間だ。
 タクシーを呼ぼう。
 警察には用事が済んだ後に連絡をすればいい。無いものは無いのだから。警察が来たらそれこそ時間がかかる。調書というやつだ。
 「車種はなんですか?」から始まり「免許証を拝見します」になり「最後はいつ、ここに車を止めましたか?」となるだろう。
 ん?いつ車を止めたのだろう。記憶がない。「記憶にございません」。


 国の偉い人達も、こんな風に記憶がなくなるのだろうか。
 いや、そうではないらしい。国会中継でよく聞く「記憶にございません」は真実を言えば問題になるし、そうかといって嘘はつけない。そんな時に使う便利な官僚言葉だという。
 ならば「記憶の場所」がきちんと存在していて、そこには真実が整頓されて並んでいるはずだ。
 私の車も「記憶の場所」にあるかもしれない。


 そういえば、以前にも車で困ったことがあった。
 会社の帰りにスーパーマーケットに寄った時のことだ。買物を終え、車をバックして駐車場を出ようとしたが、車をバックする方法が急に分からなくなった。
 今さっき会社の駐車場をバックして来たばかりなのに、なんとしたことか。気分が一瞬で引潮状態になった。と同時に疲れていることを体がじんわりと思い出した。
 その月は残業がすでに三〇時間も超えていた。この日も長時間のパソコン作業で目の奥がやられていた。限界だったのか、目が勝手に閉じていた。結局、ほんの少し仮眠を取っただけで駐車場から脱出できた。記憶は滅多にめげたりはしない。
 だから冷静になろう。
 昨日は岡山駅近くで友達とランチをするために車で出かけた。その後、自宅から徒歩一分のスーパーマーケットに寄って帰宅した。近いので普段は歩いて買物に行っている。
 もしや車を置いたまま歩いて帰ったのか?
 可能性がなくもない。
 車がそこにありさえすれば、警察やタクシーのお世話にならず、しかも遅刻も回避できる。すべて解決する。記憶が怪しいのを除けばだけど。
 ドキドキしながらスーパーマーケットに急いだ。
 ほら、ちゃんと私の車があった!






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