岡山市民の文芸
随筆 -第48回(平成28年度)-


おもてなしの心 久 保 早百合


 私には九十九歳二ヶ月になる母が居る。伴侶、兄妹四人、親友も当然あの世の人。


 
 その母は、今はグループホームでお世話になっている。くの字に曲った身体で、自室からリビングまで元気に歩く。洗濯物を畳み、リビングと対面のキッチンで支障のない料理を手伝わせてもらう。活き活きとしている。
 母の部屋には、白寿の祝いに子、孫、曾孫たちに囲まれて撮った集合写真と白寿の記念に作った家系図が壁に飾ってある。
 それらを見て認識できるのは、娘である姉と私と義妹の三人だけ。他界して四十年になる自分の夫を指差して「この人誰?」の世界。母の脳の思考回路は、生きてきた九十九年のどの時代をさ迷っているのだろうか。
 先般、私の長男と孫娘の三人でホームを訪ねた。「これから何処かへ食べに行こう」。嬉しそうに言う母。「おばあちゃん、今日は時間が無いから又今度にしような」息子がストップを掛けると母は素直に頷く。「ここは何も出してあげるものが無いからなぁ」。おもてなしが出来ぬことを嘆く。



 痴呆になるということは、その人の「素」又は「本性」が出るものだと母を見て考えさせられる。ホームの職員さんが、洗濯物の畳み方、料理のやり方を見て「この方は几帳面だったんですね」と言われる。その通り几帳面で綺麗好きだった。
 来訪者には、何かお出しせねば、寝る所はどうしようかと、今でもおもてなしの心が始動する。家族が面会に行くと、ホームでは丁寧にお茶を出してくださる。母はその方に満面の笑みで「ありがとう」を忘れない。童女のようだ。
 ホームへの支払いの日、妹と二人で出向くと、いつものように二人分のカルピスと母用のマグカップが運ばれてきた。暫く、母とのトンチンカンな会話で爆笑の連続。母にサヨナラをして、器を返しに行こうとする私に、母は自分の飲み残しを捨てて持って行くよう指示した。認知症であっても、残すのは職員さんに申し訳ないという思いが垣間見えた。



 認知症になっても、品がよく、可愛いく、おもてなしの心遣いを持ち続ける母。私もあやかりたいと思う。反面、自分が痴呆になったらどんな「地」を出すのかなと怖くもある。



 二年前の今頃は、危険な状態だった母が、自分の足で歩き、リビングで入所の皆さんと一緒に食事が出来る。奇跡としか言いようがない。有難い。
 今、百歳は珍しくないが、意外に百歳の壁を破るのは難しいと聞く。
 越せそうで越せない九十九歳の坂を母がクリアし、百歳の慶事を迎える日が来ることを私たちは信じている。
 その日まで、あと十ヶ月!!





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