岡山市民の文芸
随筆 -第45回(平成25年度)-


くそべえ 藤井信哉


 長年、手元から離さず、飽きもせず読み続けた‘くそべえ’。余りにも汚れてぼろぼろになった‘くそべえ’を取り替えるために真新しいものを届けた。その直後、母は呼吸困難に陥り、入所していた特別養護老人ホームから市民病院に入院した。母、九十八歳。その時には、すでに意識は失われていた。
 私は、多趣味である。特に川柳が好きで三十歳頃から新聞投稿を中心に作句していた。入選作も二百句を超えていたので、還暦を記念して一冊の作品集を生きた証として、自費出版することを思いついた。題名が先ず閃いた。‘くそべえ’にしよう。亡父と確執があった思い出のことば。教師経験のある父は、ひとつの事を究める者を好んだ。反対に私はあらゆるものに興味を持ち、片っ端から挑戦した。悪く言えば飽き性、良く言えば好奇心旺盛だった。そして、屡父と言い争った。父は、私を‘くそべえ’と言って罵った。つまり、糞蠅(くそばえ)が岡山弁では‘くそべえ’となる。糞蠅は糞を求めて次から次へと移動する。ひとつの事に集中出来ない、という意味である。
 私の意図する作品集は、川柳が中心ではあるが、詩もあれば漫画もある。そこで思いついた題が‘くそべえ’なのである。母は、その時米寿の八十八歳。父亡き後、三代続いた酒類小売業とたばこ、その他食料品、雑貨の店を一人で営んでいた。その合間に、亡き父から書道教室を受け継ぎ、子供から大人までの幅広い年齢層の人たちを教えていた。ここは得意の筆を愛息のために奮ってもらわなければならない。
 自費出版の経緯を話して、「題号は、‘くそべえ’にしようと思よんじゃ」と揮毫を頼むと「そりゃ、いけん。もうちょっとましな題はねえんか?そねえな、変な題なら書けん」と言い張る。「この題がわしの集大成を表しとるんじゃ、何とか書いてくれえ」と頼み込んで、仕舞いには、しぶしぶ乍らも素晴らしい変体がなで書いてくれた。
 刊行後、いの一番に‘くそべえ’を母に届けた。あんなに反対した題号‘くそべえ’にも満更でもない風である。以来、母は‘くそべえ’を絶対に手元から離さなかった。来店の客に次々と見せて自慢した。また、私が帰郷すると、‘くそべえ’を開き、自分の気に入った句を何度も朗読する。そして、最後には必ず「あとがき」の自分の事が書かれた部分「何よりも還暦の息子の事が未だに心配な米寿の母が、本書の出版を喜んでくれている。本書の題名も得意の筆で、揮毫してくれた。いつまでも元気でいて貰いたいものである」を指でなぞりながら「信哉がこんな事を書いとる」と何回も何回も読み上げるのである。母の最もお気に入りの所である。
 読んで読み尽くしてぼろぼろになった幸せの‘くそべえ’を棺の中の母の胸に置く。母にとってはベストセラーの‘くそべえ’の新品を更に一冊胸に供えた。

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