岡山市民の文芸
随筆 -第45回(平成25年度)-


ショートステイ 片岡由紀子


 夫の在宅介護も四年近くになる。体力的にも精神的にも、老いの身に疲れやストレスは溜まってくる。
「奥様が倒れられては大変ですから、ショートステイを利用されることを、お勧めします」
 ケアマネージャーや看護師さんから再三提案されていたが、なかなか決心がつかない。
 週一回のデイケアでさえ「もう行かん」「今日は休む」などと言い続けている。たとえ一泊でも他所で泊まることなど、首を縦に振るわけがないと思うからだ。一方では、一晩でもゆっくり眠りたい。夫のことを気にせず外出したい。利用してくれたら、どんなに伸び伸びできるだろうかとの思いも強い。
 先の見えない介護の日々は「わがままばっかり言うのなら、もう世話は、せんからな」きつい言葉を吐く事もしばしば。「もう少し優しくしなくては」「心の中に鬼が棲んでいる」後悔し自分を責め、ストレスとなる。
「ものは試し。どんな所か行ってみましょう」
 ケアマネージャーさんが、上手に夫を説得して下さり、六月中旬一泊二日で利用する事になった。「やっぱり行かん」そう言うかもと心配したが、素直に迎えの車に乗った。
 さあ、今日と明日は自由な時間だ。大急ぎで身支度を整えると、駅へ急いだ。何十年も会っていない幼馴染みと、倉敷で落ち合う約束をしていた。心弾ませ電車に乗り込む。
 電車が岡山を離れるにつれ車窓の景色も、文庫本の文字も目に入らなくなった。「今頃夫はどうしているだろうか。帰ると言って、スタッフの方を困まらせてはいないだろうか」
 心の隅にくすぶっていた不安が広がってきた。先ほどまでの浮き浮きした気分が消えゆく。倉敷に着くやいなや電話を入れた。
「大丈夫ですよ。ゆっくりされていますよ」
 電話口の声に胸の支えが溶け、ほっとする。
 時間を気にすることなく幼馴染みと、旧交を温め心ゆくまでおしゃべりした。体中に絡まった介護という糸から解き放たれた一時だ。
 友と別れスーパーへ立ち寄ろうとしたが、今夜は一人。残り物で済ますことにした。
 日頃は狭く感じる寝室も、しーんとして広く見える。「おーい、お母さん」「おーい、来てくれ」ちょっとした事でも呼ぶ夫の声もない。テレビの音だけが流れる。食事は、トイレは大丈夫か、眠れているだろうかと、又しても要らぬ心配が頭が過ぎり、眠れない。
 翌日夕方、少々疲れたら様子だったが、思いの外機嫌よく帰宅した。「気分転換になってよかった。うるさい婆さんはおらんし、若うて優しい人ばあじゃった」
 憎まれ口を言いながらも「家がええのう」ぽそりと言った。強がってはいるが、夫の性格からして不安や我慢があったはずだ。「ありがとう」心の中で感謝した。夕食は好物のオムライス。たわいない会話が続く夜。
 お互いが、ちょっと距離を置き、小さな刺激と新鮮な空気を吸ったショートステイ初体験。明日からの介護への束の間の休憩時間だった。


現代詩短歌俳句川柳随筆目次
ザ・リット・シティミュージアム