岡山市民の文芸
随筆 -第45回(平成25年度)-


私のお気に入り 出戸真喜子


 「サウンド・オブ・ミュージック」という映画の中で披露される「私のお気に入り」という歌は、文字通り、私のお気に入りだ。どんな人の心の中にも、このような「自分だけのささやかなお気に入り」があるだろう。
 私は特に「お気に入り」に気づく瞬間が好きだ。有形無形の物と流れ続ける時が握手するような、あの瞬間。思い出をたぐっていくと、初めて形や色や感触の美しさのようなものを意識するようになったのは、小学生になったときだ。それまでにも五感が刺激されることはあった。けれども学校との出会いを境に、急にさまざまなものの私に語りかける声が聞こえるようになったと思う。
 最初は制服のリボン。入学式の朝の、真新しいリボンの張りと控え目な光沢。襟元でふんわりと結ぶと、色も手触りも採れたてのレタスそっくりだった。それからの私は、キャベツよりもレタスをたくさん食べるようになった。次は、上靴入れの袋。その深いえんじ色とレタスのリボンの色合わせに私はどきどきした。リボンと上靴入れが「私たち、今日から友だち」と、私を仲間に入れてくれた。母と写真を撮ろうと、校門付近の桜の木の下に立ったとき、母の黒い着物の肩の上に、花びらが次々と舞って降りる。黒の上に乗った桜の色は、いっそうはかなく見えた。それから上靴に履き替えて、初めて校舎に入る。木造校舎のこげ茶の床に乗せた新しい上靴のまぶしさ。上靴が、足に張り付く感触。ゴム製の靴底は、走りたくなる足にブレーキを強くかけてくれる。教室へと続く廊下にはあちこちに木の節があり、鯉のぼりの眼のように私を見つめている。見つめ返しながら、これからどんな発見ができるのか、わくわくした。
 小学校での毎日は、友人たちとの校舎の探検と、魅力的なものの発見だ。教室に入って見上げれば、天井には柱の王様。どうやらこの王様は「ハリ」という名前らしい。すべすべなのに、所々ささくれを隠し持つ階段の手すり。板チョコのような階段は、踏む場所によってはギリギリと音が鳴る巨大な鍵盤。階段の途中で向きが変わる場所は「踊り場」だと知る。その優雅な名前にうっとり。階段を登りきると、一直線に伸びる幅広い廊下。床の板も壁も天井も、彼方のある一点で出会おうとしている。その彼方から手招きされている気がして、先生の眼を盗んで端から端まで友だちと何度走ったことだろう。
 雨の日の湿った床と油の匂い、夏の日光をたっぷり浴びた外壁の焦げた匂い、向こう側がゆがんで見えるガラス窓、イヤリングのようにゆれる窓の鍵。もう、胸がいっぱいだ。
 「私のお気に入り」を口ずさみ、両手に持ちきれない宝物と遊ぶ。形があろうと無かろうと、その呼吸を今日も私は聞いている。きっと、あちら側からも私のことを見たり聞いたりして、面白がっているにちがいない。お気に入りたちから「お気に入りに登録」されているのなら、この上ない幸せ。


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