岡山市民の文芸
随筆 -第44回(平成24年度)-


チェックの赤いシャツ  岸野 洋介


妻が昇天してから二度目の衣替えの季節を迎えた。衣服のことは妻まかせだった私は、四十数年ぶりに夏用のシャツを求めて、旧知の同年輩の店主のいる洋品店を訪れた。
 歯に衣着せぬ物言いをする主は、開口一番、
「奥さんのありがたみが、食べることや着ることでよく分かったでしょう。それで今日は?」
「夏の半袖シャツだ。私に似合う手ごろなものを見せてくれ」
 奥に消えた主人は、白地に茜と萌黄の縞模様のはいったTシャツと、赤と紺の細かいチェックの開襟シャツを持って来た。私の目の前に広げて、にこにこしながら、
「お宅も鰥夫の二年生、これくらいのシャツを着ないと、蛆がわきますよ。この二つならどちらもよく似合います。今着ているシャツより、絶対に二つ三つは若く見えますから」
 店主はひと歳とったら思い切って、派手なシャツを着てほしい。今まで着つけていないシャツを着るのには、思い切りが大事だなどと、しきりに派手なシャツを勧めた。
「色々と言われても、今まで地味なシャツしか着てこなかった私にはどうも・・・・・・」
「プロの私が似合うと言っているんです。みんなが『いい柄だ。よく似合う』と言うこと間違いなし。思いきって着てみて下さい。」
「本当に大丈夫かなあ。もし笑われたら、返しに来るぞ」
「ええ、結構です。みんなからとやかく言われたら、持って来て下さい。私の一番のおすすめは、赤の格子縞の開襟シャツの方です」
 ここまで言われても、まだ笑われはしないか。とうとう頭にきたかと思われはしないかなどという不安をぬぐいきれないまま買った。帰って早速赤シャツを試着して、そっと鏡を覗いてみた。店主の自信たっぷりな顔が背後から見つめているような気がした。「よし、着てみるか」と呟き、シャツをハンガーにかけた。
 二日後の歌会の日、思い切って新調の赤シャツを着て会場へ。会場に行く途中も、人にじろじろ見られているようで、落ち着かない。
 会場に入るといっせいに「ウォー!」と声があがった。デパートで洋服関係のコーディネーターをしていたというM女が、「ワアー素敵!よくお似合いよ」と声を出した。いつも和服で控えめなS女も、「誰かと思いました。若返りましたね」と、笑顔を見せてくれた。
 赤シャツが思いのほか好評だったので、二時間半の歌会も浮き浮きしながら過ごすことができた。やがて、いつも通りの二次会になった。話題は当然のことのように私の赤シャツに集中した。いつも地味な服装で通していた私が、急に派手なシャツを着たというので、みんな口々に、「いい人でもできたのか」とか「今、なぜ赤いシャツなのか」などど、好き勝手なことを問いかける。適当な返事をしながら、いい気分でグラスを傾けた。
 それにしても赤シャツを勧めた店主は「さすがだなあ」と、その道一筋の商売人の見立ての凄さにただただ舌を巻いたのだった。


現代詩短歌俳句川柳随筆目次
ザ・リット・シティミュージアム