岡山市民の文芸
随筆 -第43回(平成23年度)-


右を向く 松本 公美恵


 バレエスタジオへ通っている。
 数年前に、娘のためにバレエ教室を調べて興味をひかれ、そのまま一緒に入会した。当の娘は、やれ受験だ部活だといって、じきにやめてしまったのだが、そのまま続いている。
 行くときは、息子に自転車を借りて行く。彼の自転車は、高校の入学祝いに買ってやったものだ。クロスバイク、と呼ぶらしい。フランスだかイタリアだか忘れてしまったが、すかした名前のブランドロゴが、フレームに入っている。
 ママチャリ、それも前と後ろに子供を乗せて走るあの重い自転車にしか、ここ十数年乗っていなかった身には、このクロスバイクというシロモノは、まるで魔法の絨毯だ。ママチャリ+漕ぎ分、うんしょ、うんしょ、うんしょ、うんしょ、うんしょ、以下略。が、ひと漕ぎ、すーいっで進む。快適な走行という程度のものではなく、それは、それ自体が独立した積極的な快楽だといっていい。大袈裟にいうと、人生観が変わる。自分の力で、リアルの世界を風のように自由に移動できる快感が、万能感とまではいわなくても、自分にもなにかができるという気にさせてくれる。自分の筋肉を使っているのがいいのかもしれない。思うところに、思ったときにはすでに移動できている。その快感。
 スタジオに着くと、今度は逆である。甘やかされ、怠けた自分の身体を痛感する。まるで思うように動かないのである。訓練された先生の脚は、無駄な贅肉などまるでなく、引き締まって美しい。そして、まるで手を挙げるように簡単に、高々と挙がる。「さあ、どうぞ」と言われて、試みるわたしの脚は、贅肉で重たく、筋肉はなく、ちっとも挙がらない。スタジオの大きな鏡が恨めしくなるくらいだ。だらけた体、美しくない自分がはっきりとわかる。「踊る」とか「優雅に」とかいう段階からは、はるかに遠い。
 まず自分の足の力で確実に立つことから。先生は、にっこり笑ってそうおっしゃる。それから、一ミリでも遠くまで。一ミリでもより高く。低い目標で云うのも恥ずかしいのだが、身体を動かそうと努力するのが、私にとってのバレエだ。
 誰だったか忘れてしまったが、右、と思った瞬間には右を向いているのが達人である、と云った人がいる。今の私は、右、と思ったあと、右だ、右を向かなきゃ、右なんだよ、と脂汗をたらりたらりと流して焦りつつ、それでもまっすぐ前をむいたままといったところだろう。意思も、リアルの力も、足りないのだ。
 いつかクロスバイクに乗るように爽快に、軽々と飛び、高々と脚を挙げられたら、どんなに気持ちがいいだろう。果たしてそんな日が来るのかどうか大いに不安だが、それでも何もしないよりはいいのだ。そう思って、重たい脚を挙げに、今日も通うのである。

 

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