岡山市民の文芸
随筆 -第43回(平成23年度)-


重し 片岡 由紀子


 夕方七時近くなると、ようやく日中の厳しい暑さも和らぎ始める。夫から、
「そろそろ散歩に行こうか。四輪車を用意してくれるか」
 と、声がかかる。リハビリと気分転換に散歩は、欠かせない日課だ。「了解」と私。
「えっ、散歩に車?」の疑問は当然だが、車は車でも、わが家の場合は車椅子のことだ。
「じゃあ、出発しましょうか。安全運転で行きましょう。どっこいしょっと!!」
 車椅子に座るのは私。運転手は夫。
「ありゃあ、どうしたん?さかさまじゃが」
 私たちの姿に近所の人が目を丸くする。
「ハハハ……。おかしかろう。重し代わりに座っとるんよ。前が浮いて危ないから」
 私の説明に「なるほど」と、納得される。
 冗談半分に人様に言えるようになったのは、つい最近のことだ。今時、車椅子はめずらしくはない。しかし、わが身となれば複雑だった。夫の姿が人目に晒されることへの抵抗感。好奇とも哀れみとも取れる世間の目に馴れるには、愚にもつかないプライドが邪魔をした。
 夫の体調が、おかしくなりだして三年余り。病院を転々としたが病状は進むばかり。とうとう車椅子生活を余儀なくされた。病名が判明したのは昨年秋。治療法のない病だと告げられ体が凍りついた。いつか良くなると信じている夫に真実はとても言えない。家族から平凡な日常生活を奪い去った病が憎い。
 そんな時、友人の一人から便りが届いた。
「大変だけど、それでも側にご主人がいらっしゃる。それだけでも幸せよ。私は三年以上たっても、悔やまれて、悔やまれてなりません」
 彼女は、外出先から帰宅してみると、朝見送ってくれたご主人が、亡くなられていたのだった。傍目にも痛ましく、掛ける言葉さえないほどだった。しかし「なぜ、どうして、何の罰」と、夫の病名に心は千々に乱れ、やり場のない苦しみに打ちのめされていた心に彼女の言葉は響かなかった。
 今年の春の終わり頃、夫の病状に小さな変化が現われ始めた。薬の効果だろうか。硬直していた足の動きがスムーズになり、トイレ、洗面所などへの移動も(手摺りを持ってだが)出来だした。これまでの車椅子に乗っての散歩も、自分で押して歩くと言い出した。
 不安はあったが、夫の思うようにやってみることにした。押してみると座席が軽く、力を少し入れると安定感がなく危ぶなかしい。「それじゃあ、私が」と座ってみると「丁度ええ重しじゃ」と満足気な夫。少々気恥ずかしいが私が重しとなったのだ。石段の上り下りも可能となり、小さな喜びと自信が重なる。
「すごい!!もう私が付いとらんでも大丈夫」
「バカを言うな。重しがおらんと困る。じゃけど、これ以上重うなられても困る」
 私の突き出したお腹を見て真顔で言う。ポンとお腹を叩きながら、重しでも何でも側にいるのが幸せかなと、いつかの友人の言葉を今ようやく受け留められる気がする。

 

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