岡山市民の文芸
随筆 -第42回(平成22年度)-


緑のカーテン 滝山 禮子


 べランダのゴーヤが元気に育っている。わずかな風にもゆれる葉は涼しげで、朝から眺めていて飽きさせない。去年は黄色い花の間を数匹の小さなシジミ蝶が飛び交って、毎日目を楽しませてくれたものだったが、今年は姿を見せず、代わりに黒いアゲハチョウがのんびりやってきた。
 マンション暮らしを始めて八年。西日の当たる居間が年々暑くなっているような気がして、ゴーヤの苗を植えてみたのは去年の夏だった。最近もてはやされている緑のカーテンである。初めてのカーテンは食べきれないほどの実をつけて、ゴーヤ好きの私を狂喜させた。普通の大きさのプランターに二本ずつ、計四本の苗にしては望外の収穫だったと言えるだろう。そこで、今年も二匹目のドジョウを狙って、早々と植えつけを済ませてあった。
 初めて口にしたゴーヤ料理は〃おひたし〃だった。
 十年以上前の夏、私はスーパーのお惣菜売り場の前で立ちすくんでいた。
 その日は、帰省した義妹が義父母の介護当番を代わってくれていて、自分の食事だけ用意すればいいという貴重な日だった。それなのに、夏ばてで食欲がまるで無かったのである。
 何か食べておかなきゃという強迫観念だけでぼんやり見ていると、削りがつおとゴーヤだけというシンプルなトレーが、
 (食べてごらん)
 と、呼びかけているような気がした。
 不思議な苦味が体に合ったのか、その夜のうちに、三人前ほどもあったおひたしを一人で食べてしまった。
 以来、夏の食卓にゴーヤは欠かせない。定番のチャンプルーも嫌いではないが、なんといってもおひたしが一番だと思っている。
 それにしても、胡瓜、茄子、トマト、ピーマン、夏野菜全てを嫌いだった夫が亡くなって十数年、ひとり暮らしが長くなるにつれて、モロヘイヤ、オクラ、青ジソ、ミョウガ等など、私が食べる夏野菜の豊かになったこと。この調子だと、亡くなった人の残した人生以上に長生きしそうで、ちょっと恐ろしい。
 プランター育ちのゴーヤは、去年ちょうどいい大きさの実をつけた。今年ももう三センチほどになった実が日を追って大きくなっている。シジミ蝶が来ないので、私が少し手を貸した初生りである。これをおひたしにして夫に供えても、多分彼は喜ばないだろう。
 「野菜、野菜て、料理は栄養だけで作るもんちゃう言うてるやろ!」
 そんな、彼の関西弁が聞いてみたい。
 壁に掛かった彼の写真は、まっすぐゴーヤの方を向いている。部屋の温度を下げるのにどれほど役立っているかは定かでないが、彼の居る場所から見た緑のカーテンはいかにも涼しげで頼もしい。彼もきっとその緑を楽しんでいるに違いないと思えば、初生りのおひたしを供えてみたい気がしないでもない。

 

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