岡山市民の文芸
随筆 -第42回(平成22年度)-


父の酒、私の酒 金光 章


 私は酒飲みとはいえないが、酒は好きだ。日本酒、ビール、ワイン、何でもいい。アルコール分には独特の味わいがあるばかりでなく、えもいわれぬ陶酔感をもたらせてくれる。
 私は本業こそ卒業したものの、今も時おり知らない地方に出向く用務を持っている。用件を終えた夕方、ビジネスホテルを出て居酒屋を探し、地酒を選んで土地の食物と共に味わうことを何よりの楽しみとしている。
 酒好きは明らかに父親の遺伝だ。もっとも昔の家庭婦人が酒を口にする習慣などなかったから、母にその才能があったか否か、見当のつけようがない。父は家で晩酌こそしなかったが、その頃は祭だの寄り合いだのと、座敷に親戚や近所の人が集まって、飲食を共にする機会が割合多かった。そんな酒席で父は常に座の真ん中に居り、下戸から順に抜けた、最後に残る二三人の常連中の顔役でもあった。
 父は酒豪と言うのと少し違う。私の友人に底無しの飲み助がいて、注がれれば黙って受けて終始、顔色も変えず同じぺースで飲んで最後まで仏頂面なのがいるが、父はそんなのではない。飲みっぷりが実に愉しそうだった。
 飲む時はいつも誰かを伴っていたようだ。私が高校生の頃、学級懇談会など一度も出席したはずがないのに、成績も学校での素行もよく把握していた。これはずっと後で知ったのだけれど、担任教師をPTA会だと飲み屋に誘って、個人「懇談」をしていたらしい。
 何しろ世の中が大らかだった。父は建築設計を生業としたが、部下ばかりか建設の現場担当の若い人や、時には役人にさえ酒を振舞っていた形跡がある。私はよく知らなかったが、父が亡くなってずいぶん後に、
 「お父さんにはよくお酒をご馳走になったものです」と聞いて、その幅の広さに驚いたことが何度かある。そんな、父に奢られた(もと若かった)人が必ずロにするのが、
「お父さんはいつも、『酒は修行だ』と言われました」である。
 「酒は修行」とは意味のよく分らない言葉だ。思い出すのは、酔っ払って乱れることをずい分嫌ったことだ。飲んで愉快になるのはいいが、酒癖の悪い人を嫌がった。
 酒を飲むと本性が顔を出す。人間性がそのまま露出する。飲んで下卑ていやらしくなる人は、その本性が卑しいからだ。酒品が良くなるように、日頃から品性を養っておくようにというのが、彼の人生哲学の底にあった。
 酔えばたいてい本音が出る。人はお互い本音で付き合いたいものだ。そんな人の和が作りたくて父は潤滑油である、酒を好んだのかも知れない。私はそこまで酒を使いこなせない。
 成年前に家を離れた私は、実は父と飲んだ回数はそう多くない。父の享年六五才を既に数年上回った今も、出来るなら父と一度杯を交したいと思う。それがかなえば、秋に孫が増えることを報告し、二三相談したいこともある。この年になると、相談する人などいない。でも父なら本音で応えてくれるだろう。

 

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