岡山市民の文芸
随筆 -第41回(平成21年度)-


サラブレッドは遠し 金光 章


 競馬は「血統」が走るのだ、と哲学めいた話をしてくれたのは四十数年前、私が設計見習いで入社した建設会社の工事現場所長だ。
 本社にいると現場の細々した事情など十分に分らなくても仕事は進む。しかし会社としては第一線の現場のことを十分心得ていて欲しい。だから採用すぐの社員を短期間現場に出して、現場を「研修」させていた。
 この時どんな技術を会得したか等、今では何一つ思い出せない。その時の現場所長が優秀な人だがギャンブラーだったこと。彼の競馬にからむ経験談くらいしか記憶にない。そうだ、現場(つまり社会)には、本社とは別の人材が不可欠なのだと知ったのはあの時だった。
 現場には本社勤めと違う、人間臭さが求められる。端的に言って酒か賭け事のどちらかが強いのがいい。度を越すと身を踏み違えそうな瀬戸際に亡羊といて、なおかつ身を処す能力のある人が現場を纏める人材となるようだ。
 そんなわけであの時の現場での昼と夜の食事後、機嫌の好い時の所長が話してくれるのは大抵ギャンブルの体験談だった。
 「俺もなあ、競馬をやらずに貯金していたら、今ごろ豪邸の一軒は持てとったよ」
 本人がそう証明するのだから、彼の『絶対勝てる方法』という秘伝も些か怪しい。だからここで紹介しない。もっとも細かい話は忘れてしまった。覚えているのは冒頭の血統の話で、
 「他のギャンブルと違って競馬は特別なんや。優秀な馬を生み出すべく、遺伝の研究をしていて、その優劣は即走った結果に現れる。それが競馬の本来の目的や。勝ち馬に『農林大臣賞(当時)』や『天皇杯』が出るのは駿馬を生産した、研究成果に対してや」
 「競馬の予測は、その馬の特質を考えて、レースの展開を考えるんや。必ずその馬の両親の性格を考えんとあかん。途中でくたばったり、気が散ったりする馬の子は必ずその性質を受け継ぐものや」
 他は忘れたが、この血統の話だけは以後も記憶に残った。人も馬も同様だろう。子供が小学生の頃ふと思い出して、保護者の連絡帳に自棄半分にこのことを書いて出したら、担任は「学校では厳しく調教しています」と答えてくれて、その時は何となく心強く思えた。
 人の持って生まれた性格はどの程度改良できるものか。これは大きなテーマだ。自分自身嫌いな面を持っている。坐禅の真似事なども試みて、常々改良しようと心掛けているつもりだが、思うようにゆかないのが実感だ。
 小学校が夏休みに入った先日、果物を少し多めに買ったので、孫にも分けて食べさせてやろうと、近くに住む娘の家を訪ねると、玄関の外まで娘の金切り声が聞こえてきた。
 「物をきちんと片付けなさい。ノートだってちゃんと整理して書きなさい。分っているはずなのに、テストで間違うのは頭の中が乱雑できちんと整頓できてないからです」
 私は抱えた荷物を落としそうになった。それは七十歳に近い君の祖父の欠陥そのものです。


 

短歌俳句川柳現代詩随筆目次
ザ・リット・シティミュージアム