岡山市民の文芸
随筆 -第40回(平成20年度)-


生い茂る葛の葉陰に 岡 由美子


 ここには、細長い三枚の棚田があったはずである。実家から、二キロほど離れた山裾に並ぶ「金場」と呼ばれる田んぼ。この田で大抵、秋の取り入れがピリオドを打つので、特に印象に残っている場所である。

 ふと思い立ち、十数年ぶりに訪ねた金場はほとんど昔の面影をとどめてはいなかった。田と田の境目はなくなって、一面、葛の葉が覆いかぶさっていた。人の手の入らなくなった田は山の一部と化し、大自然の威力を見せつけているかのようだった。生い茂る葛の葉陰に、金色の稲穂が波打っていた秋の日がよみがえった。

 空が日ごとに高く澄んで秋たけなわになると、刈り取った稲の乾き具合と空模様とを見ながら、祖父が農作業の段取りをする。
 「今日は、金場をこぐことにしよう」
祖父の一言で、その日の農作業は決定する。朝露の落ちるのを待って、家族総出で、その田へと向かう。祖父母、両親、兄、そして私の六人。農繁期は、文字通り猫の手も借りたいほどの忙しさであったから、中学生の兄も小学生の私も、一家の貴重な労働力となった。
 祖父と父とが、田んぼに脱穀機を運び込み、機械の調整に当たる。バッ、バッ、バッ。大きな発動機の音が、周囲の山々にこだまする。母と兄と私は、稲掛けからよく乾いた稲の束を下しては荒縄で縛り、脱穀機の後ろへ運んでいく。そのたびに稲藁ががさがさと首筋にあたり、痛がゆい。
 祖父たちが、一束ずつ稲を脱穀機にかける。「ザァーッ」と、籾の飛び散る音とともに、籾が叺の中へ流れ込んでいく。祖母は、こぎ終え、後ろへポーンと放られた藁を集めて、田の隅っこへ藁ぐろを作っていく。汗とほこりまみれになりながら、黙々と六人の連携プレーが続く。稲こぎが終わると、男たちは機械を片づけ、女たちが落ち穂拾いをする。ていねいに、ていねいに、稲穂の一本も無駄にすまいと、田んぼ中を隈無く見て回る。ミレーの「落ち穂拾い」の絵画さながらに。_
 一足先に、祖母と私は、茜色に染まる西の空を仰ぎつつ、家路を急ぐ。あぜで手折ったリンドウが、猫車の上で静かにほほ笑みかける。疲れ切っていても、手足のあちこちが痛くても、家族みんなで大仕事をなし遂げたという満足感と安堵感が全身を包んだ。

 今もあの頃と同じ様に、無数の赤とんぼが中空を舞い、秋の穏やかな日差しが降り注ぐ。しかし、変わり果ててしまった周りの景色。先人たちが一鍬一鍬耕した田畑やきれいに草を刈ったあぜ道は、高齢化、過疎化によってみるみる荒廃していく。山に返っていく。日本中の山あいの各地でも同様に。寂しく厳しい故里の現実の姿であるが、何十年も前の美しい田園風景と強く結ばれていた家族の絆だけは、今も私の五感に鮮やかに生きている。



 

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