岡山市民の文芸
随筆 -第39回(平成19年度)-


くじら雲からの返事 高山 秋津


 こんな筈ではなかった。
 娘が小学校へ入学して初めての参観日、お洒落もし、弾む足取りで出かけてきたのだ。
 参観授業は国語だった。「くじら雲」という単元を終え、一人ずつ、その雲に向かって叫ぶという企画。全員に発表させるという計らいだ。ワクワクする。席順に進んだが、面白いことに、どの子も答える内容は、「おーい、元気かい」「おーい、遊ぼうよ」の二点のみ。さあ、娘の番だ。「では次、三輪さん」、娘は小さく椅子の音を立て、徐ろに立ち上がった。
「……」
答えない。教室が急にしんと静かになる。「それじゃあ、次の人」。一巡して、もう一度指名されたが、結果は同じだった。
 私は、北風の吹く荒野に一人立っているような思いだった。なぜウチの子だけ…。
 参観後は、学校でのあれこれを楽しく語りながら、手をつないで帰る予定だったのに。

 この広島市立牛田新町小学校までの通学距離は、何と片道四キロ。毎日幼い体でよく通っている。きょう歩いてみて、大人の足でもきついことを思い知らされた。その頑張りこそを誉めてやらねばならなかったのだけれど、帰途、私も娘も無言のままだ。母親の気嫌の悪さを十分承知しているのだろう。横に並ばず、後ろをトコトコついてくる。
 遠い、本当に遠い。春の日も歩けば汗ばむ。ランドセルの乾いた音を耳にしながら、私は、娘との〃和解〃を考えていた。
 ちょうど公園に差しかかった。「ブランコで休もうか」という案に、娘も黙って従う。
 彼女の顔がよく見えるように、私は向かい合わせにブランコに座った。雨に濡れた小鳥の雛はきっとこんな表情をしているのだろうナ。小さく漕ぎ始めた娘の切り揃えた前髪が、前後に柔らかく揺れる。
「ねえ、どうして答えなかったの」
「だって、だって、みんなとちがうんだもん」
「どんな答?」と尋ねると、恥ずかしそうに、消え入りそうな声で、「おーい、そらのくうきは、おいしいかい」と教えてくれた。
 素直な良い答だと思った。ざらついていた私の胸の砂漠に、一筋、透明な水が流れた。
 が、そう感じたのも一瞬、それを発表しなかったことに、よけい腹が立ってきたのだ。
 結局、誉めてやれなかった。娘は否定されたと思ったに違いない。ああ、和解はどこへ行った、どうしよう、どうすればいい——
 ブランコの時間が過ぎていく。「ねえねえ、あの雲」、空色の海を悠々と泳いでいる雲がいる。「あれ、くじら君じゃないっ」と言うと、娘はコクンと頷いた。周りを見回す。誰もいない。「叫んでみようか」「ウン!」「じゃ、いくよ、セーノッ」。二人で大声を張り上げた。
「おーい、空の空気はおいしいかーい」
 娘を見る。洗いたての笑顔だ。
 四月の光が心にも降ってきた。くじら雲からの返事のように。




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