岡山市民の文芸
随筆 −第37回(平成17年度)−


娘と私の通園路 金澤 里美


 「あっ、サラ砂だ。保育園とおんなじ!」
 つないでいた手を振り切り、娘が走り出す。空き地の端からきめの細かい砂をすくい、「ほら、ママ、手を広げてごらん」。汚れるのが嫌で躊躇したが、くりくりと光をたたえた瞳に負けて手を出し
た。砂はサラサラと指の間を流れ落ち、埃となって舞う。娘はいとおしむように目を細めてそれを見送ると、「もう一回ね」としゃがみこんでしまった。
 また、始まった。娘の場所が影になり、すぐ脇を走る車からも守れるように、立ち直す。ジリジリと夕陽が照りつけ汗が流れる。やり残した仕事、たまった家事が、ずしりと重い。やっぱり自転車で送迎しようか。家まで一気に運んでしまえれば、どんなに楽だろう。でも−。娘は今度はカモジグサの穂をむしっては飛ばし始めた。真剣な横顔。もう帰るよ−言いかけては、何度も呑みこんだ。
 四月に入園した保育園まで、家からわずか三百メートル。大人の足なら三分、三歳の娘の手を引いても十分ほどの距離だ。それが時には三十分以上かかることがある。
 古い住宅街の、何の変哲もないアスファルトの一本道。車もすれ違えない幅なのに、平行する国道の抜け道になっていて朝夕は交通量が多く、以前の私には、少々危なかしい道でしかなかった。だが子どもと歩く時、道は全く違う顔を見せてくれる。
 春、私たちの目をまっ先にとらえたのは、垣根越しに見えるよそのお庭の花々だった。「桜だ」「チューリップ」「あの赤いお花はなあに? 匂いしてみる」抱っこで鼻を近づけたところでハチと遭遇、「ハチミツ持って帰りよるかなあ」と遠巻きに行方を追う。華やかな色に誘われて近寄ったサツキの植え込みにはアリとダンゴ虫を発見。「つかめるよ。恐くないんよ」と鼻息だけは荒かった。
 視線を落とすと、側溝のふたはケンケンのマス目、車が踏めばボンコボンコと愉快な音が鳴る。道路の白線は一本橋。バランスを取り「上手でしょ」。よろけて脇の塀に手を付けば、丸い小石が埋まっていて「スベスベする。気持ちいい」。「こっちは…痛っ」上側はザラザラの吹き付けだった。見ると家ごとにいろんな塀があり、ひと通り撫でてみずにはいられない。段差があれば必ずジャンプ、たまには座って電車ごっこ。夏になり、くっきり濃くなった影の存在に気づいて影絵遊び、蝉時雨に立ち止まり、空を仰いで虫探し…
 尽きることのない好奇心が、少しまぶしい。やっぱり寄り道は、
子ども時代の宝物。
 手をつないで歩くので、一方でも足取りが重ければなかなか前に進まない。そんな日はどちらからともなく「お歌、唄おうか」。「○○くんが蹴ったんよ」と訴える帰り道にはいつもよりギュッと手を握る。保育園生活で日ごとに増してゆくたくましさも、時に味わう心細さも、指先の温もりから切ないほど伝わってくる。小っちゃな手を包んで歩く通園路は、私にとっても、大事な大事な、宝物。



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