岡山市民の文芸
随筆 −第36回(平成16年度)−


ひいらぎ
ひともとの 有道 喜代子


 一昨年二月初めの朝、私は激しいめまいに襲われた。目の方向を変えただけで、天井とともに体が急速に回転す。起き上がろうとすれば、マリオネットの人形のように体が泳ぐ。
「入院だ!」夫が叫んだ。寝たままの状態であえぎあえぎ三十分、やっと服を着た。神経は異常に高ぶり、夫の言動がすべて気に障る。
 無理矢理に私の体は車の中にかつぎ込まれ、倒した座席の上で胎児のように丸くなっていた。目が開けられない。暗黒の中で遠い日の母の言葉を思い出していた。
「人間にとって死にやまいと、ぜに儲けぐらい苦しいものはない……」
 私は今、死にやまいにかかっているのだろうか。ふたたび生きて、家の門をくぐることはかなわないのかもしれない。不安が広がる。
 今まで庭の木々を、また、小さい雑草の類までを愛し、四季移り変わる一木一草と触れ合ってきた。今は自分から外界を拒絶し、自然に対して目をそむけようとしている。
 「病院に着いた−」夫の声も外界のざわめきも、視界を遮断されているせいか、必要以上に大きく聞こえる。ストレッチャーのきしむ音とともに、私の体は自動ドアの向こうに吸い込まれた。
「Aさん、今日はどうされたのですか」
 主治医から優しく聞かれると、今の今まで死ぬかと思っていた気持が、何となく和らいできた。
「先生、一週間前から風邪で寝込み、置き薬を飲んで熱が下がったとたんに、めまいが激しくて、目が開けられないのです」
 医師の顔さへ見ることができないのに、自分でも驚くほど明るい声が出た。
「もう、ここへ来たら安心、大丈夫。おとなしくこちらの指示通りにすればすぐなおるよ」
 三年前に急性胃腸炎で三日間入院し、馴染んだ先生の声は、安心感という注射になった。
 脳外科のC・Tスキャン、胃腸レントゲン検査。一日中私は検査のとりこになった。夜から始まった点滴。ベッドの上で栄養剤とめまい止めの液を注入されながら、どこかへ置き忘れていた魂を少しずつ、とり戻しかけた。
 私の留守中を守り、朝晩来ていた夫が三日目に風邪で寝込んだ。神戸に住む長女に電話。勤めを終えて夜更けに帰って来た。五日目の午後、すべての検査に合格退院の許可が出た。
 しばらく見なかったわが家の庭の自然が、新鮮に目に写る。水仙の花が黄色に咲き、沈丁花も紫の花弁を小さくのぞかせている。
 玄関の扉に手をかけようとした私は、思いがけないものを見た。郵便受けのそばのミニ三角コーナーに、先のとがった葉の並んだ柊の枝が一本生けてあった。
 隣りの奥さんの親切だと直感したが、後に意外な事実を知った。娘が神戸から買って帰り、生けていてくれたのだ。平素口数が少なく、お上手の言えない長女の反面を垣間見た。
私の大危は、透明な二月の青空に向かって、高く飛んで行った−。



短歌俳句川柳現代詩随筆目次
ザ・リット・シティミュージアム