岡山市民の文芸
随筆 −第36回(平成16年度)−


花待つ午後に 三宅 由里子


 仕事柄肩が凝りやすいので、ときどきマッサージに行く。そこでは、目の不自由な人たちがマッサージ師として、凝りをほぐしてくれている。
 日ざしに暖かさが感じられるようになった午後、担当してくれたYさんが、私の肩に手を当てながら言った。彼は、七十に近い。
「僕、生まれてこの方、ものを見たことないんよ」
 まあ、お気の毒……即座に私は声が出かかったが、Yさんは事もなげに話を続けた。
「でもなあ、僕なんかええほうやで。途中で失明した人なんて、何をするのも怖くてどうしようもないやろうなあ。生きることに絶望的な気分になってしまうかもしれんなあ。それが、もう、僕は気の毒でたまらんわあ」
 その言葉にはっとした私は、Yさんに私の姿が見えないのをいいことに、彼の手が置かれた肩をすくめる代わりに、舌を出した。Yさんが途中失明の人を気遣って口にした「気の毒」に比べたら、私の言おうとした「お気の毒」は、なんと安っぽい言葉だろう。
 そう思うと、Yさんに表情を悟られずにマッサージが続けられていることに、救われたのもまた事実だ。
 しばらく別の話題が出たあと、児童虐待のことに話が及んだ。Yさんは言う。
「テレビ見よると報道されるわなあ。犠牲になった子があんまりにもかわいそうで、僕、よう見ておれんのよ」
 ものを見たことがないYさんは、会話でもニュースでもできる限りのイメージを描いて、心の眼で見ているのだろう。その眼が見るのを拒もうとするほどショッキングな事件に、Yさんは心痛めたに違いない。
 たまたま今まで健常者で暮らせてきただけの私は、健常者と障害者を区別するつもりはない。だが、私たち健常者の心の中に、知らず知らずのうちに「驕り」がはびこってはいないだろうか。日々真剣に生きることを、障害のある人たちに試されているような気さえする。生かされていることに感謝し、命を大切にして生きていく。この当たり前の原点に、日ごろ私たちは立ち返っているだろうか。
 生まれてからずっと目が見えないだなんて「お気の毒」と言いかけた私。上っ面だけで調子よく「お気の毒」などと言うものではないのだと思い知らされ、気恥ずかしくなった私。そして、Yさんには私がどんな顔つきでいるかが見えていないのだと安心した私。
 どの私をも、おそらくYさんの心の眼はとらえていただろう。私の中の驕りを省みて、心して生きていきたいと思う。


「じきに、西川の桜が咲くわなあ」
 窓辺の寝台で私の首筋をほぐしながら、のんびりと言うYさん。私の内から驕りが消えたら、Yさんが見るのと同じ桜が、私にも見えるだろうか。
 すりガラスの向こうまで、春は来ている。



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