岡山市民の文芸
随筆 −第35回(平成15年度)−


祖父が遺してくれたもの 金澤 里美


 九十二歳の祖父を初めて病院へ見舞った私は、一瞬言葉を失った。窮屈に折り曲げられてベッドの枠に収められたカサカサの手足、表情を失った顔は、まるで化石のようだった。
 幼い頃から“自慢のおじいちゃん”だった。おしゃれで、好奇心にあふれて、茶目っ気があって。八年前に祖母に先立たれてからは、道向かいに住む私の母やご近所さんに見守られながら独りで自活。九十歳の時に車の運転を止め、電動自転車で外出を楽しむ日々だった。ところが、冬の間に急激に衰え、検査入院して間もなく意識が混濁し始めたという。
 この日も、私や母の呼びかけに反応は鈍く、可愛がってくれていた娘をベッドの脇に座らせて「おじいちゃん、萌美も来たよ」と言ってみたが、わからない様子だった。
 静かな病室の窓からは、満開の桜並木が見下ろせた。
 もう桜の季節だ。早いなあ…。娘が祖父と初めて対面したのは、ちょうど一年前の春だった。娘の初節句と初宮参りの記念の食事会に、夫と私それぞれの両親と一緒に祖父も招いた。難産の末に産まれた娘は呼吸障害や感染症を患っていて生後三週間ほど入院していた。何とか元気に育ってほしい、長寿の“ひいおじいちゃん”にあやかりたいと願うところもあったのだ。
 あの日、娘は始終、誰彼に抱かれて上機嫌だった。祖父だけは娘を遠巻きにしていたが、帰り際に「この子は、ほんに意地のええ子じゃあ」と、心底感心したように言ってくれた。初めての出産・育児が思いのほか大変で、心身共に疲れ切っていた私の胸に、その一言は深く、優しく染み通った。
 その後も、里帰りのついでに娘を連れて訪ねる度に、祖父は「こんまい口をしとる。別嬪になるわい」「頭の真ん中にギリ(つむじ)が来とるのを見ぃ、素直な子じゃあ」など必ずどこかをほめてくれた。同じことを余所で言われることがあっても、九十年も生きてきた祖父の口から出る言葉は、重みが違った。
 入院一ヵ月めに、祖父は逝った。
 四十九日も過ぎて落ち着いた頃、実家への道中、病院の前を車で通った。おじいちゃん大丈夫かな―ぼんやりと思いかけて、もういないんだと気付き、突然大きな喪失感に襲われた。見送った直後の寂しさとは異なる、胸にぽっかり開いた穴にどこまでも堕ちていくような心許無さ。戸惑いの中で、考えた。寝たきりでもよかった。祖父が生きていてくれるだけで、私の心は知らず知らずのうちに照らされていたのだ。人は、特別なことをしなくても、存在そのものが大きな力になれるのだ。たった一人の子供の世話に精一杯で、何もできないと焦りや無力感に押しつぶされそうになっていたけれど、一日一日を大切に積み重ねていけばいいのかもしれない。
 「花は散ったけど、緑がきれいだね」
娘に声をかけて、車のアクセルを踏み込む。すべての命が輝いて見えた。



短歌俳句川柳現代詩随筆目次
ザ・リット・シティミュージアム