岡山市民の文芸
随筆 −第35回(平成15年度)−


高山 秋津


 友人を見舞った病院で、一人のナースの胸の名札に目が止まった。写真付きのプレートに、
しょうこ
「○○ 聖子 」と振り仮名が打ってある。
 聖子―その名前の響きが、私の記憶の箱を、ゆっくりと揺すり始める。


 私が、長男を出産した二日後に、その人は女児を出産。二人部屋だったから、新米ママ同志すぐに意気投合、住所、電話番号を交換した。一生の友となる、筈であった。
 四キロ近い体重の息子と、二五〇〇グラムに満たない彼女の赤ちゃんは対照的で、彼女は息子のことを“お兄ちゃん”と呼んだ。柔らかな微笑と一緒に。
 小さくて愛らしい彼女の赤ちゃんには、既に名前が付けられていた。「予定日がクリスマス・イヴだったから、聖夜の聖で聖子」
  我が息子はと言えば、どちらの家にとっても初孫で、画数やら陰・陽やら諸々の意見が交され、すぐには決まらない。周囲の皆が、あれこれ考えてくれることも、有難いことだったけれど、「二人で決めた」という彼女の言葉は、チョッピリうらやましくもあった。
 一週間の産院生活。決められた時刻に新生児室へ迎えに行き、授乳。その快い重みに、しみじみと母となった思いをかみしめる。息子は、微かな乳白色の香りを漂わせ、腕の中でよく眠った。
 彼女の赤ちゃんが長く生きられないかもしれないという事実を、私は数日後知った。心臓に欠陥があるという。
「我々と家族の人とで力を合わせ、一日でも長く生きられるよう努力しましょう」
医師の低い声が響く。
 カーテンを隔てて、沈痛な空気が伝わってくる。声を押し殺して、彼女が泣いていることがわかる。
 「頑張ってくださいね」
慰めの言葉も、励ましの言葉も、他に用意できぬまま、ただそれだけ言って、私は一足早く退院した。透き通った秋空が、まぶしかった。私の胸に躍り込んできたのは、生まれたばかりの風だろうか。「生まれる」という言葉が、風の中で光っていた。


 その日以来、連絡を取っていない。どうして連絡など取れようか。母になった喜びの最中に突きつけられた、彼女の過酷な運命。その顛末を知るのが、怖い。
 たった数日間だけ共に過ごした、小さな縁。たった二日だけ早く生まれた、“お兄ちゃん”の誕生日を迎えるたびに、私は彼女のことを思い出した。バースデーケーキのローソクの数が増えていくにつれ、息子はどんどん幼さの殻を脱いでいった。少年らしい青い自意識を高めていった。あの愛らしかった“妹”も、今、どこかの町で、素敵な女の子となっていると、信じたい。
 ケーキの上で、祈りのように揺れる小さな焔の数は、はや二十個を越える。



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