岡山市民の文芸
随筆 −第33回(平成13年度)−


二月の甘酒 三宅 由里子


 毎年二月になると、あの飛び切りおいしかった甘酒を思い出す。
 初めての子を宿した私は、重いつわりに加えて風邪による発熱が続いた。里の母は、私を気遣うものの、心臓を患う父を一人置いて夜間に家を空けるわけにはいかず、代わって姑が、数日の間泊まりがけで家事や私の世話をしに来てくれた。
 ありがたかった。しかし、何と言っても姑は夫の母。料理の味付けも材料の切り方も、私が慣れ親しんだ母のそれとは微妙に異なっている。体調の良くない私は、そのわずかな違いをすんなり受け入れられる状態ではなかった。食べられない…。肩で息をして食事になかなか口を付けようとしない嫁を目の当たりにして、料理好きの彼女は、さぞやつらかったことだろう。ただただ私の体の具合の悪さゆえのことだったが、申し訳なかったと、今になって思う。
 そんなある日、ろくに食べないまま私がうとうと眠っている間に、姑は、台所でお鍋いっぱいに甘酒をこしらえていた。食が進まないのに甘酒なんて…と気も進まなかったが、口に含むと、つわりの不安を落ち着かせてくれる、穏やかな甘みが広がった。寝ている部屋の襖をちょろっと開けては、砥部焼の湯呑みを差し出してお代わりを再々ねだる私に、姑の顔もほころんだ。
「妊婦さんに、こんなに飲ませてええんかなあ」
そう言いながらも、看病に来てから初めて自分に甘えた嫁に、彼女もやっと胸を撫で下ろしたのだった。
私は、それはそれはたくさん飲んだ。もう、このまま酔っ払いの妊婦が出来上がってしまいそうなくらい飲んだ。
 だが、ろくすっぽ食べていない胃に、大量の甘酒はあまりにも刺激が強すぎたようだ。それから時間を置く間もなく、私はそのほとんどを戻してしまった。あれあれ…残念そうな姑の顔が今もよみがえる。


 あの日以来、姑の甘酒を飲んでいない。この二月にも、私は夫の実家の堀りごたつに足を突っ込んで、
「お母さん、あのときの甘酒おいしかったわあ。また飲みたいわあ」
と水を向けたが、彼女は笑って手を振った。
「あれは、体が普通のときじゃなかったからねえ。特別おいしかったんよ、きっと」
 そして、もう十二年も前になったことを懐かしみ、遠くを見やるようにして言った。
「実のお母さんだったら、甘えられてどんなにか心丈夫だったろうに、私が行って、よう何日もじっと辛抱してくれたねえ…」


 あのとき、母が私の所へ駆けつけられなかったもとになった父も、姑が留守の間、何かと不便でありながらも自分で食事の手筈を調えていてくれたのであろう舅も、最早いない。



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