岡山市民の文芸
随筆 −第32回(平成12年度)−


ホタルの飛ぶ夜 高山 秋津


 中国自動車道、落合インターのあたりで、突然の土砂降りとなった。ハンドルを握る姉、母、そして私の三人は、津山から北房町ホタルの里へ向かっていた。ホタル前線がこの地を離れようとするギリギリの、六月末の夜のことである。
 前日まで雨が続き、この日も朝から重い空だった。必ずホタルに会えるという確かな思いも持てぬまま来てしまったが、この豪雨ではやはり無理か―。三人の気持ちが萎え始めた頃、ワイパーの動きが鈍くなって、「ほたる公園」の駐車場へ着いた時には、幸運にも雨が上がっていた。
 この天候である。先客は一台のみ。ひっそりとした町を、備中川に沿って歩いて行く。
 「あっ、あそこに!」
最初に声を発したのは、母だった。雨が上がるのを、ホタル達も待っていたのだろうか。淡い光がすうっと横に流れていく。水も、岸も、草も、すっぽり藍色の中にあって、三人の足音だけが聞こえる。
 このやわらかい静けさの中、ふと、父の付き添いをしていた病室を思い出した。大腸癌の大手術をした後だった。母に代わって私が深夜の数時間を受け持っていたのは、父が亡くなる数カ月前だ。
 澄んだ点滴の音。実際に音がする訳ではないのだが、それは心の奥底に響いてきた。頬紅を思わせる優しい色の液体が、肩先に吸い込まれていく。ポトン、ポトンと、微かだけれど深い音、ひそやかに呼吸する音、生命の音。父の寝顔は、晩秋の陽射しのように穏やかだった。その滴は途切れることなく、私の心を潤しながら落ち続けた。
 ホタルの点滅する小さな に、何故か、その時の点滴の音を重ね合わせたの
は、姉が、「このホタルはおとうさんかもしれないね」と、つぶやいたのと同時だったかもしれない。私達の歩みに寄り添って離れない、一匹のホタルがいたのだ。
 母は、どんな小さな旅にも、父の写真を同行させる。今、母の手に握られている写真がそれだ。その上に、何とホタルが止まった。七十二歳の母の紅潮した頬が、少女のように瑞々しく美しい。
 ホタルを乗せたまま歩いて行く。父の魂を真ん中に、何十年も前の我が家四人の日々が、蘇ってくるようだ。こんな静かな時間もある。こんな優しい時間もある。
 帰る間際、この地を管理している方に偶然お目にかかれた。ゲンジボタル、ヒメボタルの違い、光る謎、ホタルの一生…私達は、教室にかしこまった小学生のように、神妙な顔をして、“授業”を受けた。
 「二週間前が乱舞の最盛期だったのに」
と、惜しんで下さったけれど、この時期だからこそ、燃えつきる最後の力を振り絞って父の写真に止まってくれたに違いない。
 成虫になって十日の寿命だという。何ともはかなく美しい生命だ。



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