岡山市民の文芸
随筆 −第30回(平成10年度)−


太鼓や 有道 喜代子


 「お宅の太鼓やさんいますか?」
 夫の属している民謡の会主からの電話だ。
 「はい、うちの太鼓やさんを呼びます」
 つられて私は夫をさん付けにしてしまった。
 夫が日本民謡「T会」に入ったのは十五年前のことである。その五年後に会主N先生より太鼓をたたいてみるか、と言われた。
 学生時代にバンドでドラムをやっていたので、先生の言葉に夫は飛びついた。
 その年の発表会に初めての夫の演奏姿を見ようと、私は会場前列に席をとった。順番が近づくにつれ、私の心臓は早鐘を打ち出した。
 「どうか、会員のみんなに迷惑をかけることなく、リズムが正しく打てますように…」
 心の中で神に祈りつつ、わが耳と目を舞台に凝らし、集中していた。会が果てた後、夫よりも私の方が疲れ、ぐったりとなっていた。
 二年目、三年目と会主からもらう太鼓の曲数もふえ、順調に腕もあがっていたようだ。五年目に入った或る日、思いもかけず夫に難聴の兆が現われた。私は意識しなかったが、それは徐々に進行していたのかもしれない。
 三味線の立てをとる声がはっきりしない。歌い手の声が聞こえにくいと言う。出場者に絶対迷惑はかけられない。伴奏者としての責任がある。本当は欲しくはないが、補聴器を買った。すぐには器具に馴れず、音の世界にある者が難聴とは、運命の皮肉を私は感じた。
 太鼓を始めてから満五年の終わりに、民謡十周年の記念大会が岡山市文化センターで行われた。補聴器をつけての出演に夫は気後れし、この日限り、退会のつもりでいた。
 抱えきれないほどの花束を胸に、夫は満面に笑をたたえ、満足気に舞台から下りて来た。
 この夜、先ずは終了を喜び、二人で祝杯を交わしていたとき、電話が入った。
 「難聴だなんてまったく感じられなかった。太鼓の撥がリズムにのって踊っていた。やめるなど絶対に言わせないでよ…」
 夫の従妹からの電話の声の真剣さに私は圧倒された。今やめないで、苦しくても後五年間辛抱してよ、と私は懸命に夫を口説いた。
 平成九年十一月三十日、民謡十五周年記念大会。私の待望しない日が遂にきた。今日の太鼓が成功し、安心して退会ができるよう私は念じ、会場入口の外で「受付係」を受け持った。
 夫の最後の姿は見たいが、不安な気持で会場にいるよりは、外の方が気楽かもしれない。
 数時間後、すべての戦を終えた夫は私の許へ来た。ゲストのプロ歌手の伴奏も引き受けたので、紋付の着物に袴姿だ。緊張の余韻を残した夫の顔に満ち足りたものを私は感じた。
 五日後、娘むこから当日のビデオテープが送られて来た。スイッチを入れたとたん、オープニングの「下津井節」の曲をたたく夫の姿が私の目に飛び込んできた。
 「これがあなたの最後の太鼓やの姿!」
 傍で見ている夫に、私は叫ぶように言いながら声をあげて泣いた。
 夫は黙ってビデオの画面を見つめていた。



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