岡山市民の文芸
随筆 −第29回(平成9年度)−


りんごジュース 藤原 朋子


 昨年の夏のことである。娘が東京の国立がんセンターで一ヵ月間、放射線治療を受けた。月曜日から金曜日まで病院に通い、治療と診察を受けてから宿泊先へ帰る生活だった。
 そんなある日、放射線科の待合室で後ろの席にいた男性に声をかけられた。
「あの、すみません。そのジュースは病院の入り口の自動販売機で買ったんですか?」
 娘と私が飲んでいた一本のりんごジュースを見て尋ねられた。私が、病院に来る道すがら買ったものだと答えると、
「あぁ、そうですか。いや、とてもおいしそうに見えたものですから…。そうですか、病院のではないんですか…。」
 ずいぶん落胆した様子だった。五十歳くらいでスーツにネクタイを締め、仕事の合い間に治療を受けている風に見えたが、ひどく顔色が悪い。
 ここに通う人は、部位の違いこそあれ、いずれも同じ名の付く病気である。その男性は到底食欲などありそうではなかった。もしかすると、それがその日初めて口にしたいと思ったものなのかもしれない。
「すみません。」
 私はそう言った。口をつけた飲み残しを勧めるわけにはいかない。往復十分前後の所にそのジュースは売られているが、二歳半の娘を連れて順番待ちをしている身では、代わりに走って買いに行くこともできない。瞬時にいろいろ考えたあげくに出た言葉だった。
 私のとんちんかんな受け答えに、その人はいたく恐縮された。
「いやいやとんでもない。こちらこそ変なことを言ってすみません。」
 残りのジュースをその人の前で飲むことはできなかった。娘が飲む姿から、その人は目をそらしていたように思う。それからすぐに帰郷した私達は、もうその男性と会うことはなかった。
 その後、娘は右眼球摘出という形で病気を克服しつつある。生命の縁に程近い場所にいたことなど知らない彼女は、毎日無邪気に過ごしている。度重なる上京。見知らぬ土地で多くの人と出会い、いろんなふれあいがあってさまざまなことを考えた一年だった。
 また同じ季節が巡ってきて、あの頃を思い出す。今から思えばあの人は、残りの一口でもいいから、あのりんごジュースが飲みたかったのではないだろうか。
「大変失礼ですが、もし飲みかけでもよろしかったら召し上って下さい。」
 と言ってもよかったのではないだろうか。
 あの男性がその後どうしているのか、同じ病気の人だからこそ知りたくない気持ちもある。でも、もしまた病気の人や身体の不自由な人と接してそんな場面に出くわしたら、おせっかいだと言われてもいいから勇気を持って行動したい。
 娘が失った右目のかわりに、私に授かった勇気があると思うから。



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