岡山市民の文芸
随筆 −第28回(平成8年度)−


ビッグニュース 角田 みどり


 「お母さん、ツバメが巣を作りょうるのを知っとるか」
 日曜日の遅い朝食後のひととき、新聞に目を通している私に、夫が話しかけてきた。
 「ガレージの入り口の真上じゃ。ツバメのつがいが交替で、壁の内側に泥をひっつけとるんじゃ。見てみい、お母さん」
そういう夫は、珍しい昆虫でも見つけた少年のように、瞳をキラリと輝やかせている。
 「知らんわあ。お父さん、本当」
と、私の返事。娘達が大学進学のために相次いで上京し、夫婦二人だけの生活が始まってからもう三年目を迎えた。小遣いがなくなった時以上は何の連絡もして来ない娘達を恨めしくも思い、それでも、便りがないのは健康で充実した日々を過ごしている証拠だと、自分に言い聞かせてはいる。静かで平穏な暮らしの中で、こんな小さな出来事でも、私達にとってはビッグニュースになってしまう。
 夫は、私にツバメの巣づくりの様子を見るようしきりに勧め、率先してガレージに案内してくれた。見上げると、なるほど泥の小さな固まりが壁に横一列、点々と付けられてある。近寄りすぎるとツバメが怖がると夫にたしなめられ、ガレージの奥の方から二人で身を潜めるようにして眺めていると、安心したツバメが斜めにスイと飛び込んで来て、羽を小刻みにはばたかせ、くちばしで泥と藁でできた小玉を壁に付けては、飛び去っていく。
 それから、毎朝のように夫と私の「ツバメの観察」は続いた。次第に形づくられていくツバメの巣の下で、しばし足を止め、目を凝らす。出勤前のあわただしい中でのほんのささやかな夫婦の時間に、心安らぐ思いがする。
 泥の玉をいくつも集めた四半球の巣が完成するまで、それほどの日数は要しなかった。ツバメ達が入居してまもなく、ピーピーとかすかな鳴き声が聞こえるようになり、ついには、鼡色の毛のボサボサ頭の雛が四羽、巣からヒョッコリと顔を出した。雛が真黄色のくちばしを菱形に開けて首を長くし、丸い頭をユラユラ揺らすと、親鳥は一羽ずつ公平に餌を与える。その親鳥の姿は、物価の高い東京で少ない仕送りに喘いでいる娘達に、せっせと食料品を宅急便にして届けている私達の姿にも重なり、思わず口許がほころんでしまう。
 「お母さん、ツバメの一家が消えたぞ。もぬけの空じゃ。もう、がっかりじゃ」
 ツバメの観察開始から、ひと月ほど経っただろうか。夫がひどく落胆した表情で、そう伝えて来た。ある日忽然と姿を消したツバメの旅立ちを、夫はよほど残念に思ったのか、空っぽになった巣を何度も見上げた。私達の娘が本当の意味で巣立つのも、案外こんなにあっけないものになるかも知れない。その時、夫はどんなに寂しがることだろう。
 次の日曜日の朝、台所で炊事をしていた私に、玄関先の夫が大声で呼びかけた。
 「お母さん、トカゲの赤ちゃんが入り込んどるぞ。早よう、見てみい。早よう」―



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