岡山市民の文芸
随筆 −第27回(平成7年度)−


マッハとシズカ 藤井 玉子


 爽やかな風の吹く六月の半ば、私は和気郡佐伯町にある岡山県自然保護センターで行われた「丹頂の雛を見る会」に友と参加した。
 センターには緑の谷間に網を張り巡らした大きなゲージが六つ並んでおり、その草原を十六羽の丹頂が歩き回ったり、何かついばんでいたり、卵を抱いていたりした。かわいい雛の姿も見え隠れしていて、私は思わず歓声を上げて見入った。
 飼育係の人から丹頂についての詳しい話を聞いた後、私は、子育ての中の
つがい
マッハとシズカという心ひかれる丹頂の 番に会った。
 マッハ(雄)は昭和五十三年釧路生まれで体重は九キロから十キロ、羽を広げると何と二百四十センチ近くもあるという。
 シズカ(雌)は平成二年京都生まれで体重は七キロ前後。共にずいぶん長い嘴と長い足をもち、白と黒と赤の彩が美しく、気品のある鳥である。
 マッハが空を仰ぐように首を伸ばして「コー」と長く引っ張って鳴くと、シズカがすかさず「コッコ」と細く切ったようにつづいて鳴いた。「コー」「コッコ」、「コー」「コッコー」と二羽が鳴き合う声に、他の丹頂たちも競うように鳴き始めた。高々と冴えたその鳴き声は谷間を渡ってこだまし、六月の青空へと上っていった。
 それは人間でいえば、まるで夫の「おーい」という呼びかけに「はい、はい」妻が答えているかのようにも聞こえ、何とも気持のよい鳴き方であった。私は心が洗われる思いがした。鶴は番になると死ぬまで離れないと聞いたことがあるが、うなずけるものがあった。
 マッハとシズカは、誕生後十八日目と十六日目の小さな雛を育てていたが、実は里親なのだと飼育係の人から聞かされた。動物園から貰われてきたマッハは、風切羽を短く切られており、シズカとの交尾は成功せず、二つの無精卵を温めつづけていたのだという。そこで飼育係が、嘴打ちの始まった誕生三十分前の人工孵化の卵と上手にすり替え、無事に里親になれたとのことであった。
 この間ずっと世話をし、見守ってきた飼育係の人の苦労と喜びを思い、私は深く感動してしまった。
 雛たちは、親鳥とは似ても似つかぬうす茶色のもあもあとした和毛に覆われ、大きな丸い黒目とオレンジ色の嘴、まるで手を縮めたような羽と、細く長い足をしていた。親鳥の後ばかりを追って転がるように歩いている様子は、何ともかわいらしく、私は思わず笑顔になり、やさしい気持になった。
 夜は、シズカが羽の下に雛たちを抱いてやり、マッハが見張りをしながら眠るとか。私は子育てに夢中であった遠い日をなつかしく思い出し、離れ住む二人の息子を思った。
 観察会終了の時刻になった。マッハやシズカや、大きく育った雛たちにまた会いに訪れたいと思いながら山を下った。「コー」「コッコ」と鳴き合う声が背後でしていた。



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