岡山市民の文芸
随筆 −第26回(平成6年度)−


十 手 川島 英子


 私は取り込んだ洗濯物を家族のそれぞれに分けてたたんだ。午後四時四十五分になったら、末っ子を車で武道館まで送らなければならない。三年生、四年生と喜んで剣道の練習に通っていた息子は、六年生になって、この頃ぐずぐずと準備に手間取るようになっていた。
「まだ少し時間があるな」
 私は柱時計を見上げて、台所に立った。二階から下りて来た息子と鉢合わせとなった。珍しいことにもう稽古着に着替えていた。彼は背筋を伸ばして、重々しい態度で居間の方へ歩いて行った。
「ほう、少しやる気になったかな」
 私は彼の後ろ姿を目で追った。息子は私の姿見の前を威厳を保って行ったり来たり始めた。「おやっ」彼の袴の脇に紅いものがゆらゆらしている。銀色の丸い棒が腰で鈍い光を放った。「十手だわ」私は吹き出しそうになった。先日、修学旅行で京都に行った折、買って来たものだ。
「千円だったよ」
 彼は家に帰り着くなりバックから大切そうに取り出して、嬉しそうに披露した。弟が帰って来たのに気づいて、
「あんこ入りの生八つ橋か何んかないのお」
 と、離れから顔をのぞけた大学生の兄が、
「やあ、十手買ってるう」
 と黄色い声でからかった。
「この十手、同心のなんだ。僕、紫の房のがほしかったんだけどなあ。店の人、これしか出してくれなんだんだ」
 彼は実に残念そうに言った。そして急いでそれをこわきに抱えて二階に持って上がった。


 息子は十手を腰にさして、やおらテレビのスイッチを入れた。「大岡越前」の時代劇が始まっていた。
「お母さぁん、早く来てごらん、早く!」
 息子は台所の私を呼んだ。
「あの同心の十手、僕のとおんなじでしょ」
 声が弾んでいた。彼は時代劇、中でも捕り物ドラマの大ファンなのだ。
「ふっふっふ…」私は笑いながら居間に入って行った。そうなんだ。袴をつけて、腰に十手をさして歩いてみたかったんだ。背丈は大人並みに伸びていても、鼻の下にうっすらとひげが生えていても、六年生ってまだまだこんなもんなんだ。私は嬉しくなっていた。
 私はすまして稽古着の息子の傍に正座した。テレビの画面で黄色い着物の若い同心の腰に紅い房の十手が光っていた。急がないと剣道の練習に遅れるなあと、ちらっと思った。そしてまた、まあ少しぐらいいいか。このまま健やかに育ってくれたらそれでいいんだから。そうも思った。私は息子の腰の十手にそっと触れてみた。紅い房がゆらゆらとゆれた。



短歌俳句川柳現代詩随筆目次
ザ・リット・シティミュージアム