岡山市民の文芸
随筆 −第26回(平成6年度)−


眉 毛 玉上 由美子


「眉毛のせいね、きっと。」
と、その友達は言った。
「あなたの顔が何となくチャーミングなのは。」
 高校時代のことである。
 チャーミング…顔の中のたった一部分のことではあっても、何という響きのすてきな言葉だろうと、心密かに思ったものである。
「眉毛がね、あなたのは、半分上に流れていてね、後の半分は下に流れているのよ。」
 だからこうあなたの顔は何となくおどけた感じ、だからこう何となくとぼけた感じ、と後に続く友達の言葉はほとんど心の隅に追いやられてしまって、『チャーミング』という言葉だけが、どっかりと心の真ん中にすわり込んでしまったあの日。
 何気なく聞き流していたようなふりをしていたが、実はそのすてきな言葉の響きがすっかり気に入ってしまって、その言葉を言われた、あの時の辺りの状況までしっかりと思い出せるほど、胸に焼き付いているのである。
 ガラス越しの暖かい日差し、窓辺に座っていた三人の友人達の明るい顔の表情。
「人間はね、顔じゃないのよ、心なのよ。」
などと、日頃我が子に言ってはいるが、『眉毛』と聞いただけで、高校時代のあの日の風景を思い出してしまうのは何故だろう。口とは裏腹に、実は私も『顔の美しさ』に本当はずいぶんとこだわっているのではないか。
「父さん、父さんは母さんの顔が気に入ったの、それとも心なの。」
「そりゃあもちろん心だよ。」
 小二の娘と主人との会話である。二人の会話をそばで聞きながら、私もげらげらと笑いつつ、しかし、高校時代のあの日と同じような心地良さを覚えられない自分に気づく。

 父の眉毛は長かった。特に病院での父の眉毛は長かった。目をつぶり、静かに眠っている父の眉毛は、父の生きてきた日々、しかもそれは、苦労してきた日々を象徴しているようで、私にはつらかった。
 過去の私の密やかな自分だけの満足が眉毛にあったように、父の過去もまた、いろいろな形で、父の心の中にあったのだろう。
 しかし私は父のほとんどを知らない。知ってはいない。知ろうともしなかった。父の眉毛が長い、ということに気づいたのでさえ、父の命が絶えようとしている時だったのだ。
「あんたの父さんの戦争体験ってすごいもんだったのよ。えっ、聞いてないの。子供のあんたに話してないの。そりゃあもう、あの人、調子にのると、よく戦争の話をしたもんだよ。それがまた上手でね、繰り返し同じ話をするんだけど、飽きないの。もういっぺん聞きたいもんだよ。それにしても子供のあんたが聞いてないとはねえ…。」
 父の初七日での伯母の言葉である。
 今は十一月。父と別れて七か月が経った。
 私の眉毛は父似であった。父と別れて初めて知った事実である。



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