岡山市民の文芸
随筆 −第24回(平成4年度)−


黒正 純


 K氏は新聞を見ていた。『T大医学部元助手に殺意』という記事が目についた。
 K氏の脳に一つのシーンが浮かんだ。
 昭和二十八年八月の故郷の家の回りは、まだ樹木が多く、蝉が鳴いて、暑い空気を掻き混ぜて一層暑くしているようであった。
 大阪から呼び戻されて、部屋に入ると、床の間の前に東を枕に母が寝み、姉二人と叔母達が囲むように座っていた。
 枕元で、子供の時からよく世話になったY医師が、しかめ面をしてこちらを見ていた。
 母は一時も静止することなく、死と闘っていた。苦しみ、もがきする有様は、とても肉親の者には見るに耐えられなかった。
 「何とか楽にさして上げることは、できないのですか」
 たまりかねてK氏はY医師に聞いた。
 「鎮痛剤を注射することはできますが、もう何回もモルヒネを打っていますから、今度打てば、永遠の眠りに入られることになります。それでもいいのですか」
 と医師は回りを見回した。
 婦人達は返事をせず、K氏の方を見た。
 「注射をしなかったら…」
 とK氏が尚も聞くと
 「苦しまれる時間が永くなるだけです。いずれにせよ、時間の問題です」
 と医師は冷静だった。
 尚も母親の苦しみは続いた、もう耐えられない。
 「早く、早く楽にしてあげて」
 医師は注射器を取り上げて『いいのだね』というように見回した。姉達は顔を伏せた。
 K氏はうなずいてみせた。
 母の動きは次第におさまった。
 重苦しい時間が過ぎて、脈をとり続けていた医師は、首を横に振った。
 「お別れの時が来ました」
 泣き声とも、うめき声とも溜息ともつかぬ声があがった。
 あれから四十余年経った。平成四年六月、ガンの末期症状の患者に、家族の要望で、死期を早める注射を打った医師が、殺人罪で起訴された。
 検察は『昭和三十七年に名古屋高裁が示した。一、不治の病で死が目前。二、患者の苦痛が甚だしい。三、死の苦痛の緩和。四、患者本人の承諾がある。五、医師の手による。六、方法が論理的に妥当、など、の六条件を満たさねば違法性を免れない、との安楽死の判定基準』を参考にしたという。
 果たして、K氏は、あの時これらの条件を全部クリヤーしていたのだろうか、殺人か、安楽死か、夏がきて蝉の声を聞くと、K氏は嫌でもあの光景を思い出すのである。



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