岡山市民の文芸
随筆 −第24回(平成4年度)−


下駄の音 石原 埴子


 浴衣を着て、花火大会に行くという娘のおねだりに、デパートの呉服売場へと足を運んだ。オレンジ・緑といった今風の色合いも数多くある中で、娘と私が目に止めたのは、薄紺地にしゃくなげの花が咲き、ほのかな香りが漂ってくるような、ほのぼのとした柄であった。帯は黄色がよく映えた。下駄も黄色の鼻緒を選んだ。靴を脱いで試しにはこうとしたが、情けないことに、
 「うあっ 指が開かない。」
 「全部揃っても、下駄がはけなきゃね。」
 思わず顔を見合わせ、吹き出した。靴をはく感覚でいた娘は、靴だけの生活の思わぬ落とし穴を、顔を赤らめながら感じとっていた。
 六年前の七夕祭りに、一度も袖を通していない私の浴衣を、クリーニングし着せた事があった。長年タンスで寝ていた紺地花模様の浴衣は、多少のシミは残ったが、少女の身体に寄り添うように咲く花たちが、娘を可愛く引き立てていた。同じように、初めて下駄箱から出した下駄をはき、明るい笑顔で出かけたものの、遅い帰りを心配していると、案の定、ひどり鼻緒ずれで、半ベソをかきながら、足を引きずって帰ってきた。
 もう二十余年も前の事になる。
 「あんたのお母さんは本当に優しい人じゃったなあ。今でも下駄の音がすると、あらっと思って、道へ出てみることがあるんよ。」
 母が亡くなって半年後、偶然出会った電車の中で、近所の材木店のおばあさんが、遠くを見つめるように母の思い出を語ってくれた。着物が好きな母が、夏の日、姉の縫ったワンピースを着て、下駄で小走りに急ぐ姿を―。弾むような足取りを、少し引きずるような余韻が残る下駄の音を、涙の中に思い浮かべてくれていた。小さな下駄の音さえ、愛しく覚えてくれる人がいる事に、母の娘で良かったと、私も又、涙の中で感じていた。
 私の歩んできた、デコボコ道の折折に、この下駄の音は、カラコロ、カラコロ、耳を包み込むように優しく響いてきた。
 ある時は「明るく 笑顔をしっかり」、ある時は「今は辛抱 強く生きなきゃ」
 そして、子どもは命、自分の歩む歴史だと、励まされ慰められ、歳月が流れた。
 花火大会の当日、そろそろ浴衣姿の友達が迎えにくるころだ。部屋の中で、毎日はき慣らした下駄は、鼻緒もすっかりのびて、もう鼻緒ずれの心配はなさそうである。気にいった柄だけに、浴衣は娘によく似合い、何ともいえない十八歳の女らしさが輝きだした。旭川堤を、どんな下駄の音を出しながら歩くのだろうか、楽しそうな、軽い足取りを想像すると、母の下駄の音と重なって、どこからともなく聞こえてくるような気がする。胸に込み上げる熱いものを感じながら、黄色の帯をキュッと締めた。



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