岡山市民の文芸
随筆 −第22回(平成2年度)−


石けり 川元 十九蔵


 私は、生後六ヵ月で母と死別し、父とも又十三歳で死に別れた。それまで一緒に暮していた兄夫婦の家を出て、煎餅屋の住みこみ小僧となった。日支事変の前だった。
 岡山の平野町には駄菓子やが三十軒ほど軒をつらねていた。朝の五時にはどの家もガランピシャンと雨戸を繰った。朝は先づ七輪で種火を作った。うちわであおぐ音がどの家からも響いていた。
 或る朝、隣りの飴玉やの小僧、きーやんの顔が赤く腫れあがっていた。
「顔、どうしたん?」
「いや、なんでもない」
「痛うないんか。おかみさんに薬つけて貰ぇ」
「いけん、職人さんに叩かれたことわかるもん」
「どうして叩かれたん?」
「道具の洗い方が悪い言うて」
「そんな事でー?」
 私は職人に腹が立った。きーやんは顔を下に向けてぽつり、ぽつりと話し始めた。
「職人さんは、だんなさんに叱言いわれたんで、機嫌悪かったんじゃ、わしゃ我慢する。おっかあがわしをこの店に連れて来て帰る時京橋のポンポン船の船着き場で、『手に職がつくまで辛棒するんじゃぞ』と言うた」
 きーやんの赤い目に涙が浮かんでいた。
「きーやん、こんどの休みにパッチンして遊ばんか」
「パッチン持っとらん」
「こないだ、わしのをみんな取ったろうが」
「あれか、あれは店の坊ちゃんがどうしてもくれと言うんで、やった」
「ふむー、そんなら活動写真の看板見に行かんか」
 にっこりうなづいたきーやんは、火の起きた七輪を持って店の奥に消えた。
 毎月十五日はどの店も休んだ。その日は寝坊しても、兄弟子は叱らなかった。職人さんたちが遊びに出かけた後、職場の板場を雑巾掛をし庭を掃いて自転車二台磨いたら昼となった。仕事着をよそ行きに着替えて隣の店を覗いたら、きーやんが赤ん坊を背負って出て来た。
「きーやん、今日は休みじゃで」
「おかみさんが天満屋に買物に行くんで、帰るまで子守りしてくれと言うたんじゃ」
「おかみさん連れて行けばええに」
 きーやんは、ふところから駄賃に貰ったみかんを二つ出して一つくれた。
 二人は仕方なしに近所の寺の境内にどちらが誘うともなしに行った。
 きーやんの背に負うた赤ん坊は、なにを思い出すのか時々勘高い声で泣く、二人であやすが泣きやまない。きーやんが、
「おまえ一人で活動写真の看板を見に行け」
と言ったが、私は一人では面白くないので、その日は石だたみの上で石けりをして遊んだ。



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