岡山市民の文芸
随筆 −第21回(平成元年度)−


部屋を片づける 石原 和美


 久しぶり、本当に何年ぶりかに片づけた部屋がある。かつての私の勉強部屋。机は、今では、金魚の水槽置き場になり、片隅には鏡台が置いてある。夫の着替えの場所でもあり、使わなくなった英文タイプまで置いてある雑然とした所だ。その一角に本棚がある。本棚の前には、私が学校から持ち帰った本や書類が山をなしていた。年度がわりにかなりの分量を焼き捨ててはいるものの、ついそのままにしていた分の上に、さらに少しずつ積み重ねられたものたち…。
 一念発起、山をくずしにかかる。出てくる、出てくる、もう忘れかけていた、私の作ったプリント類。古文のテスト、漢文の課題、クラスの生徒達の作文集、成績の記録、会議の議題。できないとシバリクビだ、とわめいてテストした問題集、授業の合間に大いそぎでチェックした跡のある教科書、模擬テストの問題。世の教員達は皆、これらをきちんとファイルして、あれこれ役立てているのだろうな。進路調査、図書館報…。ひとつひとつ手にとって見はじめると、きりがない。というより、あまりになまなましくて目をそむけたくなる思いがして、私は、それらを片っぱしから分けはじめた。燃えるゴミ、廃品回収用、と。
 やがて、本棚の下の方の段が現れた。上の方もいつも見慣れた文庫本ではなく、そこには雑多な本が押しこまれていた。確かに読んだ、でももう内容も覚えていない本。借りたまま、つい返しそびれてしまった本。安部公房、福永武彦、倉橋由美子…懐しい、かつて大好きで、そして今はもう読むことのなくなってしまった作家たち。あの頃と同じ気持ちで読めなかったら、という思いのために、書店へ行っても買うのをためらってしまう作家たち。その横には地図。見知らぬ町の名を読むのが好きだった頃。国語概説、英文法、児童心理、ポケットオクスフォードディクショナリー、学んでいた頃もあったのだ。
 少しずつひもで束ねた昔の教科書、雑誌類を、古新聞と重ねて置く。紙束を抱えて焼却炉へ行き、火をつける。重なった紙はなかなか焼けない。棒でつつくと思いがけず、かつてのクラスの子の名が見えたりしてハッとする。マンガ字がすうっと黒くなる。動詞の活用表が灰になる。
 こうして、私の日々が終っていくのだ。あと何度、ここで燃やすことだろう。あの日の教室を、あの子の視線を。そうして、もどかしさとあきらめの中で、私の日々が過ぎていく。
 すっきりとしてきた部屋に、私の過去が残っている。仕事の本は捨てられても、私が選んで読んだ本、私の心のいくばくかを形作ったであろう本は捨てられない。「結局、仕事嫌いの文学少女のなれのはてでしかないわけだ。」小さなため息をつき、本棚のほこりを払った。



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