岡山市民の文芸
随筆 −第20回(昭和63年度)−


青虫 高塚 たか子


昨秋、裏庭へ柚子の苗木を植えた。
「桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿十八年」
の古いことわざから言うと、とても生きている中には、口に入りそうもない。しかし、苗木につけられていた、来年はみのると言う能書を信じて、植えつけたのだった。
 五十糎ばかりの苗木は、枯れもせず、冬を越し、春を迎えた。
 五月の半ば、柚子の葉の間に白い花が咲いた。小さなたった二つの花だけど、じわじわと喜びが私の胸に充ちた。
 そのあと時々見にいくと、花は次々と増えてゆく。初めに咲いた花は、青い直径三ミリ程の実になった。
 六月の十日頃、変なものを葉の上に見付けた。青虫である。四糎程もある緑色のまるまると肥えた青虫である。よく見ると青い葉が、何枚も食べられているではないか。一瞬、踏みつぶそうかと思ったが、不図、入院中の夫の顔が浮んだ。
 青虫をつまみ上げてよく見ると、おでこが広くて黒い小さな目が二つ。正面から見ると、鼻のない子象の顔に似ている。
 私はタッパーに入れ、柚子の葉二枚を添え、病院へ持参して、主人に見せた。
「うちの柚子の葉っぱ、これが食べてるのよ。まるまる肥えて、三匹もいるのよ。」
「あげ羽の子だな。」
「きれいな蝶になると思うと、踏み潰すのも可哀想ねえ。」
「えらい佛心を出したもんだな。」
 肝臓を病んで十年。CTスキャンの検査の結果、五月末から入院中の夫は、今日は気分がいいらしい。
 家に帰り、その晩おそく、思い出してタッパーを開けると、葉をすっかり食べていた。 暗い裏庭へ出て、柚子の葉へのせたが、ポトリと落ちたらしい。手さぐりで、地面から拾い上げ、そっと葉の上へとまらせた。
 翌朝見ると、三匹の中の一匹が動きが鈍り縮みかけている。どうやら蛹になるらしい。
「余り葉っぱを食べないで。」
とつぶやいた。
 翌朝見ると、蛹がいない。まだ蝶にはなれない筈。他の二匹はしきりに葉を食べている。次の朝、見にいくと、一匹しかいない。
 青虫を食べるのは誰か。雀だろうか。残りも危い。私は蜜柑の赤い網袋があったのを探し出し、枝と一緒に包みこんだ。翌日は朝早く見にいくと、赤い網の中で、青虫は短い枝のように、静かに蛹に変わりつつあった。
 昨日までひまなしに食べていたのに。死んだように動かないが、じりじりと時をかけて、蛹に変ってゆくのだ。
「網の中でゆっくりお休み。」
私はもう一度網袋の口をしぼった。
 蛹から揚羽の蝶になるころ、月末には主人が退院してくる筈である。柚子の実が成るのは、まだまだ先のことである。
 私は暫く網の中のさなぎを眺めた。



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