岡山市民の文芸
随筆 −第20回(昭和63年度)−


あるなべとの出会い 有道 喜代子


 現在の岡山市西大寺保育園の前身、西大寺愛児園に給食責任者として、私が勤務を始めたのは、二十六年も前のことであった。選ばれて、調理士となったことへの自負と不安。
 初めて、大勢の園児に囲まれたとき、この幼い子供たちの大切な栄養補給に向って、何が何でも全力投球をしなければと決心をした。
 最初、給食室に入ったとき、数えきれない食器の山の中から、片手のとれたアルミのなべが目にとまった。薄手なので軽く、大き過ぎも、小さ過ぎもしない、古典的なこのなべに何故か私は心ひかれた。
 私の思いが通じたのか、期待通り非常に使い便利が良かった。卵やこんにゃくを茹でたり、ごぼうのあくとり、油揚げの油抜きなど、いわゆる調理の前処理の段階に最適だったので、毎日フル回転であった。朝の仕事始めに、先ず誰かの手がこのなべにゆく。このことは不思議なくらい自然現象となっていた。
 そのうちいつとはなく、残っていた片手もなくなり、なべの両側に手のとれた後の小さいねじ穴が、四つまでも開いてしまった。
 一方、三十年もの間、風雪に耐えながら、代々の園児を守護、育成してきた木造平屋建ての園舎は老朽化し、改築を余儀なくされた。
 昭和五十二年九月。鉄筋二階建築のモダンな容姿を誇る新園舎に生まれ変わった。当時のU園長先生は、旧園舎解体の日、轟音とともに瞬時に崩壊する建物を、一人見つめながら、両頬を伝う涙を禁じ得なかったと述懐された。新園舎落成式の大きい喜びの中で私は、失われたものへの切ないノスタルジアを味わった。
 さて、仮園舎から新園舎へ移動の前日。私は心の中でなべに語りかけた。
「あなたは人間で言えば百歳を越えているでしょう。両手を失い、なべの周囲の凹凸に、艱難辛苦の跡が刻まれています。磨くにも時間がかかり、強く洗うと穴が開くかもわかりません。旧園舎の喜びや痛みを知り、その中で働いた人たちの心の動静を見守り、無言のなぐさめを与えてくれました。その上園児たちの陰の力になり、無償の愛をもたらせてくれたのは、なぺさん、あなたですよ。長い間ありがとう」
 古い歴史の幕を閉じた木造園舎とともに、なべともいよいよ決別のときだと私は思った。が、しかしいざとなったとき、どうしても手離せないで、私は新園舎に持ち運んだ。
 その年、岡山市の保育園監査が行われた。
「なんと、こんなに古くなるまでよく使いこなしましたね。しかもぴかぴかと光っています。このくらい使えばなべも大満足でしょう」
委員のお方からこの言葉を頂き、私はさわぐ胸をなでおろした。これは私一人に頂いた言葉ではなく、給食室スタッフ一同が調理器具に対して心をこめた扱い方をし、磨き上手が揃っていたからに他ならない。
 昭和五十八年四月三十日。定年を迎えた私は、住みなれた西大寺保育園を去る日、万感の思いを胸に溢れさせながら、丹念になべを磨きあげ、そっと愛撫した。さようなら―。



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