岡山市民の文芸
随筆 −第19回(昭和62年度)−


還暦おめでとう 有道 喜代子


 「還暦おめでとう。」
 お正月の三が日が終わると、朝早くから従姉夫婦が「祝」の金封を持って来てくれた。
「え!私の還暦、ウソー。」思わず大きい声を発した。私は嬉しいと思いながら、心とうらはらの発言をしてしまった。
「大正十五年」と「昭和元年」は同じだと母から教えられていたので、生まれ年は「昭和元年」と答えている。正確に言うと「元年」は六日間なので私は大正生まれらしい。しかし次の年に生まれた人が「昭和二年」を名乗っているのに、「大正」では可愛そうである。
 過去の誕生日も、そのとき、その年なりの深い感慨はたしかにあったけれど、六十歳を迎えたときほど強く何かを感じたことはない。五十代への決別は郷愁に似た哀しさとなって胸をしめつける。
 さて、昭和六十一年一月十二日、岡山市教育委員会より、昨年の暮に応募していた新成人へのメッセージ、「今日という日はふたたびこない。」の優秀賞、決定の知らせが入った。
 実は、還暦を一つの節目として、自分への反省のメッセージのつもりで投稿していたが、入選の期待は薄く夫にも内緒であった。
「本当ですかー」「うれしい!」
 一オクターブ高い声が自然にほとばしり出た。受話器を手にしたまま胸が高鳴った。
 細かい本番までの仕事の予定事項を聞き終えた後、私は神仏へ感謝の報告をした。
 夫は、「お前は還暦なんていや、と言っていたが、一月早々に幸先がいいじゃあないか。ほんとうにおめでとうよ。」
 握手を求め、心から祝福の言葉をおくってくれた。
 一月十五日。午前六時三十分、庭に出て深呼吸、快晴、山茶花の花びらのくれないが一層鮮やかに輝いて見える。美しい―。
 岡山県体育館会場に向かって夫の運転する車の中で硬くなっていた。自分が今日、初めて成人式を迎えるような華やいだ思いもあった。
 式服の胸にブルーのコサージュをつけ、更に赤いばらを飾ってもらい、会場ひな壇の来賓席前列の左端に位置した。両端の階段から風が吹き上げて、両横に垂れている幕がハタハタと揺れている。私は寒さと緊張のため体が激しくふるえる。
 遂に順番がやってきた。「有道喜代子さん、新成人の皆さまへのメッセージの発表。」
 司会者の声にハッとして起立した。瞬間、ふるえはピタリと止まった。不思議である。
 中央に立ったとき、背後に、「喜代子、頑張れよ。」亡き父母の声を心に聴いた。
 希望に満ちた四千二百人の若人たちの、輝く熱い視線を体中に浴びながら、私は力いっぱいメッセージをおくった。
 私はメッセージを終ると、「ああ、これが私の還暦の記念なんだ。」と喜びをかみしめた。



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