岡山市民の文芸
随筆 −第19回(昭和62年度)−


虫も大好きおばあちゃんの野菜 瀬川 公子


 夕食のお膳の上に青々とゆがしたほうれん草。ごまが十粒寄りそって。
「お母さん、今日のほうれん草は何となく甘くて、おいしいなあ。」と、娘がすぐ気
はは
がつく。他の者も一様にうなづく。それもそのはず、今日のほうれん草は 姑が
作った取りたてのほうれん草ですもの。やっぱりみんなよく分かるのです。
 我が家の庭先には、大人二人が両手を広げたほどの菜園があります。今、大根、春菊、ほうれん草、白菜が少しずつ植えられています。でも、でも見てください。どの青菜も、どの青菜もみるも哀れになっているのです。特にほうれん草は葉っぱの部分がほとんどなく、茎だけになって立っているのです。そうなんです。虫の食事になってしまったのです。いったい何時、何処からやってくるのでしょう。
 ある夜、懐中電灯を片手に抜き足、さし足、忍び足。しまった、感づかれていた
あけ
か。虫にも予感というものがあるのかしら。 明の朝やっぱり姿は見当たらず、
いただきました、の証拠と、置き土産があるだけです。だからこの虫達と私達が食べるのと、どっちが早いかに生活がかかっています。もう少し大きくなってから、と思うと負け。まだちょっと早いかな、と迷いながら取ると虫はまだきていません。でもよく知っているのです。
あまり大きくなっていないのは、味がいまひとつということを… 。
 夕食に出たほうれん草は、一度に食べきれない虫達のお残りをいただいたわけです。
 自然食品を、無農薬野菜を、といわれて久しいのですが、姑が作る野菜はまさに自然食品といえるでしょう。消毒、もちろんしません。肥料は科学肥料でなく鶏糞を使い、こまめに草を取り、たっぷり水をやります。
 せめて家で作るわずかな野菜ぐらいは、見ばえより、何よりも安全で新鮮なものを、家族に食べさせたい。それが姑の気持ちです。
 夏は胡瓜、ナス、トマト、孫が喜ぶといって味瓜を。でもやっぱり夏の虫に。春野菜は春の虫に食べられます。
 えんどう豆を植える時期、姑と娘が例年どおり役割の決まった手順で植えている。
「おばあちゃん、えんどうはあまり虫にたべられないからええなあ。」という声がきこえる。
 子供達はおばあちゃんが作る野菜は、とてもおいしいことをよく知っています。そして、おばあちゃんの野菜に群がってくる虫達も、きっと先祖代々からの言い伝えでやって来るのでしょう。私にはそう思えます。
「あのおばあちゃんの野菜はおいしいよ。あそこへ食べにおいき。」というささやきが聞こえてくるようです。
 姑七十八才。家族にとっても虫達にとっても、なくてはならない旬の野菜をいつまでも食べさせてください。
 さあ明日の朝は春菊のお味噌汁を、夕食には大根の煮つけをいっぱいいただきましょうね。



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