岡山市民の文芸
随筆 −第18回(昭和61年度)−


夫のいびき 瀬川 公子


 隣の寝床で毎晩同じように奏でるいびきが実は毎晩違っているなんて、二十年連れ添っていながらあまり深く考えませんでした。でも改めてそういう気持ちで聞いていると、なるほど、どことなく声質、高低、長さ、息の仕方など違っています。そしてそれが何となくリズムになっているから不思議です。
 しかし、やっぱり何時間も経つと所詮いびきはいびき、耳についてきだしました。そしていつものことながら、今夜は何時になれば寝られるかしら、と溜め息。こんなことなら二十年前真剣に聞いておけばよかったのです。「いびきはかくのですか。寝あばれはしませんか。」と……。でも答えはきっと、いびきもかかない、寝あばれもしない、でしょう。眠ってしまえば自分は全くわからないのですから。隣にいる私はたまりません。一晩に何度鼻をつまみ腕をつついたりすることやら。ちょっとは止まるのです。さあ今のうちに寝ようと目を閉じ、うとうととしかけた頃、二の腕ならず二本の足が畳の上にドサッ、それが合図かのようにゴーガー、フガーフガー、とまるで壊れたラッパの独演会です。
「あーもういや!」とふとんを頭からひっかぶり、両耳をふさいでも、本当にどうしてこんなに大きく聞こえるのでしょう。こうなったら仕方がない、本でも読もうかな、でもおっくうだから眠れるまで待とうかな、と自問自答。そのうちにいつの間にか眠っているのですから、やっぱり音楽的要素があるのでしょうか。
 いびきとはいったいいかなるものでしょうか。本屋さんで立ち読みすること三十分。
 眠っている時のどの奥にある軟口蓋が、呼吸に伴って振動するために生ずる音がいびきである。眠りが深いと筋肉の緊張がゆるみ振動しやすく、浅いと緊張が強いのでいびきの音は小さい。要するに原因は口呼吸にあり、それをおこしているのは鼻づまりだそうです。お酒の飲み過ぎ、疲れている時、そして肥満の人もいびきをかきやすいらしいのです。そういえば彼は多少鼻も悪いのでしょう。それに年を重ねるとやっぱり疲れているのです。一家六人の生活が彼の肩にかかっているのですから無理もありません。好きなお酒を飲んでいびきをかいて、寝あばれもしてください。それで明日への力を蓄えているのなら気持ちよく熟睡してください。
「お母さんようこれで寝られるなあ。毎晩大変じゃなあ。」と、娘が同情やら慰めをいってくれます。
「まあ仕方がないじゃろう。いびきにきく薬もなさそうだし、そうはいってもこのいびきがなかったら淋しいもんよ。」
 昼間は無口で弱音など吐いたことはなく、まして私への優しい言葉などついぞ聞いたことはありません。でも毎晩悩まされているこのいびきは、彼の諸々の言葉かもしれません。ああ、今夜のリズムはモーツアルト、と思いながら深い眠りに沈んでいった。



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