岡山市民の文芸
随筆 −第16回(昭和59年度)−


フェアリー・リング 山口 睦子


 動物生理学者の夫が、どういう訳か、キノコに興味を持つようになって三年目になる。キノコは花も咲かないし、私はあまり好きではないが、草木好きの私に少し趣味が近付いてくれたかと、嬉しさを装って、時々キノコさがしに付き合うことにした。
 我が家の周囲、操山、県民の森等キノコを意識して歩くと、今迄目に止まらなかったのが不思議に思われるほど、どこでも生えている。傘の直径が二十センチもある物から三ミリ位のもの、形も色もとりどりだ。名前も、オニフスベとか、エリマキツチグリという可愛いのもある。森の掃除屋といわれ、枯木に寄生して分解してしまうのが多いが、冬虫夏草類のように、土中のセミ等の蛹に寄生するのもある。
 本好きの夫のこととて、本屋でキノコの本を見付けては、子供の様に喜んで得意気である。キノコの図鑑はもとより、日本各地のキノコの本、はてはヨーロッパや中国の物まで本屋に注文し、届いた時は満足そうに見入っている。当然ながら高価である。
 観察用のルーペから、撮影用の三脚、ナップザックと止め処なく買い込んで来る。「マツタケの生物学」という本を買って来た時は、とうとう言ってしまった。「ずいぶん御熱心ですこと、うちではとても高くてマツタケは食べれないのに。」
 すると、憮然とした表情で夫は言った。「おまえはなんで、本を買うことをケチるんだっ。タバコは止めたし本位いいだろう。」
 なによ、肺ガンが恐くて止めたくせにと思ったが、争いを好まぬ私は、話題を変えた。
 私にとって、キノコは食べられるのか、毒なのかが一番の関心事なのに、それを言うと「またそれだ、知的に遊ぶということを知らない、そんなに気になるなら食べてみろ。」
 全く、なんということを。もう一緒に行くのはよそうかしら。でも私の方が目が良いから、老眼に近い夫よりキノコを発見し易いし。
 七月中旬の雨の日の夕方、毎年可憐な花を付ける高野ボウキをさがしながら犬と散歩していたら、木立の中に真っ白な大きなキノコの群れが見えて、一瞬ドキリとした。犬を松の木につないで、急いで近寄ると、傘が二十センチもあるのや、土から出たばかりのはピンポン玉程にむっくりしている。白いケーキにきざんだナッツを振りかけたようなトゲ。
 おとぎの国へ迷い込んだようで、今にも小人達が雨宿りに集って来そうだ。十二年も歩き慣れ、我家から百メートルと離れていない所に生えてるなんて。私は興奮して夫の帰りを待った。帰宅した夫を案内して良く見ると、「なんだか、孤を描いて生えているみたいね。」「ああ。これがフェアリー・リングだ。」「えっ。なんですって。」「フェアリー・リング つまり妖精の輪だよ。」
 このキノコの名はシロオニタケ。ナラの木を囲んで大きくリング状に生えた妖精達にはふさわしくない名だ。私はどうやらキノコに魅せられはじめたようだ。



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